青菅梵天塚

(住所:佐倉市青菅114付近)

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1.梵天塚

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 青菅小学校の校庭の前の道を歩き、稲荷神社を過ぎると小竹から来る道に出る。そこを左にまがり称念寺に向かって右手に「高柳建築」という看板のある民家の先を右に入る。田園が開ける突き当りの右側にこの塚がある。
 この塚は、コンクリートで土留めされた高さ70cm、約12坪の土台の上に、高さ1.8mのコンクリート製の八角形の山が聳え立っている。ユーカリが丘開発に伴い昭和52年に、道祖神や出羽三山碑などが山万株式会社によって遷座された。

2.出羽三山碑
  その1

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 頂上の所に建っている。正面中央に、湯殿山に鎮座する大日如来の種子、その下に「湯殿山」の文字、その右に「羽黒山」、左に「月山」の文字を配し、正面の右側には「安永九庚子天(1780年)」、正面左側には「十一月吉日」と文字が刻まれ、正面下部には、湯殿山の文字の真下に「諸願成就所」その右側に「青菅村 下高野村 井野村 岩戸村」、左側には「先崎村 大和田村 講中敬白」と文字が刻まれている。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約80cm。

3.出羽三山碑
  その2

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 八角形の山を右回りして2番目の面にこの碑が建っている。正面上部に月輪・日輪が線刻され、その下の真ん中に「月山」、右に「羽黒山」、左に「湯殿山」と文字が刻まれている。平成4年佐倉市石造文化財調査によるとこの下に台石があり、台石の正面に「青菅区 藤代庫蔵 他10名の名 大正八年(1919年)十一月建」と文字が刻まれている。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約90cm。
 他の出羽三山碑を見ても台石が見えない。台石は恐らく土に埋もれているものと思われる。

4.出羽三山碑
  その3

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 八角形の山を右回りして3面目に建っている。正面の上部左右に月輪・日輪が線刻され、真ん中に「月山大神」、右に「出羽大神」、左に「湯殿山大神」と、下部には「参拝記念 藤代佐傳治 他6名の名」が刻まれている。年代の記載はない。元の位置は、宮ノ台2丁目10北門原公園。高さ約1m。

5.出羽三山碑
  その4

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 八角形の山を右回りして4面目に建っている。正面の真ん中に「月山大神」、その右に「羽黒山大神」、左に「湯殿山大神」と、右端には「昭和四十四年七月二十日参拝」と、左端には「昭和四十四年十月吉日建之」と文字が刻まれ、下部に「藤代昭 他27名の名」が刻まれている。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約160cm。

6.出羽三山碑
  その5

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 八角形の山を右回りして6面目(左回りでは4面目)に建っている。正面上部に月輪・日輪が彫られ、その下の中央に「月山大神」、その右に「羽黒山大神」、左に「湯殿山大神」の文字が、下部に「昭和三十六年 七月十二日参拝 小島佐一 他11名の名」が刻まれている。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約120cm。

7.出羽三山碑
  その6

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 八角形の山を右回りして7面目(左回りでは3面目)に建っている。紋様および文字が大部読みづらくなっている。正面上部に月輪・日輪が彫られ、その下真ん中に「月山大神」、右に「湯殿山大神」、左に「羽黒山大神」と文字が刻まれ、下部に「昭和十二年七月六日出発 志津村青菅同行十七名 藤代與吉 他16名の名 昭和十二年七月十三日帰着」と文字が刻まれている。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約150cm。

8.出羽三山碑
  その7

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 八角形の山を右回りして8面目(左回りでは2面目)に建っている。正面上部に月輪・日輪が彫られ、正面中央に「月山神社」、右に「羽黒山神社」、左に「湯殿山神社」と文字が刻まれている。平成4年佐倉市石造文化財調査カードにある写真には台石が写っているが、その正面には「世話人 奥津直次郎 他1名の名 藤代奥蔵 他14名の名」が記されており、年号の欄に「明治32年(1899年)」、月日の欄に「10月6日」と記されており、今は見ることができない裏面にでも建立年月日が刻まれていたのだろう。元の位置は、宮ノ台2丁目10番地北門原公園。高さ約110cm。

9.出羽三山碑
  その8

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 コンクリート製の台座の上、階段から見て八角形の山の右横に建っている。正面上部に月輪・日輪が彫られ、その下中央に「月山 参拝記念」、その右に「羽黒山」、左は「湯殿山」、正面右端に「平成五年七月五日参拝」、正面左端に「平成六年十月吉日建之」、下部に「秋元春夫 他14名の名」が刻まれている。高さ約2m。

10.出羽三山碑
   その9

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 コンクリートの台座の階段を上がった右側の植栽の間に建っている。正面中央に「月山」、右に「羽黒山」、左に「湯殿山」と文字が刻まれている。裏面は植栽で回り込めなかったが、平成4年佐倉市石造文化財調査票の記載では、羽黒山詣でが昭和54年(1979年)7月28日、翌29日に月山と湯殿山に詣でた旨が記載され、「同行 小嶋令考 水野重紳 同年十月建之」と文字が刻まれている。高さ約60cm。

11.道祖神
   その1

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 この2つの石碑は、コンクリートの台座の階段から見て右の奥の角に建っている。
 左の石碑は、かなり破損しているが平成4年佐倉市石造文化財調査によれば、左側面に「文政三辰年(1820年)」と文字が刻まれており、道祖神と推定している。高さ35cm。
 右の石碑は、正面委「道祖神」と文字が刻まれている。高さ31cm。  いずれも、元は宮ノ台1丁目17番地東南隅にあったものである。

12.道祖神
   その2

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 この石碑は、コンクリートの台座の階段から見て左の奥の角に建っている。正面に「道祖神」、左側面に「寛政九丁巳年(1797年)」、右側面には「九月吉日」と文字が刻まれている。元の位置は、宮ノ台1丁目17番地北東隅。高さ約40cm。

13.道祖神
   その3

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 この石碑は、コンクリートの台座の階段から見て右横の角に建っている。かなり剥離が進んでおり、平成4年佐倉市石造文化財調査カードの助けを借りて文字を解読すると、正面中央に「道祖神」、その右に「明治三十五年(1902)」、左には「二月吉祥日」と、右側面に「願主 三門寅之助」と文字が刻まれている。元の位置は、宮ノ台1丁目17番地東南隅。高さ約20cm。

佐倉石碑クラブ

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