青菅分校跡

(住所:佐倉市青菅159付近)

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1.青菅分校跡

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 明治36年志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎の児童が通学した。昭和20年後半から志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎が新築された(上の写真の左側の木造建物)。昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称され、昭和52年3月に廃校になった。廃校から40年近くなるが地域の人々のお蔭で廃校時の原型をとどめている。写真右側の建物は地域の集会所の「青菅会館」である。
 場所は小竹から青菅の道筋にある。ユーカリが丘線中学校前駅で降りて青菅小学校校庭の手前で右折し、青菅稲荷神社前の坂を下り広い通りに出たら右(小竹方面)に200m弱歩くと左側にこえらの建物が見える。

2.庚申塚

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 旧青菅分校の校庭の右隅、高さ1mほどの塚の上に庚申塔が6基、馬頭観音が2基、道標が1基、塚の上の右の角に遷仏遷座記碑が、塚に上る石段の左に二十三夜塔兼道標がある。

3.二十三夜塔兼道標

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 正面の中央に「廿三夜塔 青菅區講中」、その右に「東 小竹臼井道」、正面の左には「明治丗二年(1899年)九月」と文字が刻まれている。右側面は南 井野上座道」と、左側面には「北下高野米本道」と、裏面には「西上高野村上道 西斜ハ井野新田千葉道」と文字が刻まれている。この石碑は、元は宮ノ台二丁目14番(北門原公園の近く)にあったものである。高さ73cm。

4.馬頭観音
  その1

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 庚申塚の石段の方から見ると左奥にある。石の正面真ん中に「馬頭観世音」と、その左に「明治丗八年(1905年)」、右に「八月吉日」と文字が刻まれ、裏面に「願主 金一円五十銭設楽佐太郎 補助 金八十銭設楽徳周 三門亀吉 他17名の名」が刻まれている。この馬頭観音は、元は宮ノ台2丁目13番地の角にあった。高さ64cm。

5.馬頭観音
  その2

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 庚申塚の上、上記4の馬頭観音の手前にある。正面に六臂の馬頭観音像が彫られ、その右に「寛保四子年(1744年) 青菅邑中」、左に「正月吉日 願主設楽氏」と文字が刻まれている。この馬頭観音も宮ノ台2丁目13番地角(旧住所:青菅字門原917)にあり、古い頃その場所は馬の爪切場(そうまんどう)であったと言われる。高さ66cm。

6.庚申塔
  その1

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 庚申塚の石段から見れば、前列の左端にある。正面に、日輪と月輪、その間に種字が彫られ「奉供羪(よう)大青面金剛」の文字が刻まれ、台石の正面に見ざる聞かざる言わざるの三猿が彫られている。本体右側面に「日月清明二月吉日」、台石右側面には「〇吉 他13名の名」が彫られている。本体左側面には、「天下和順安永拾辛丑天(1781年)青菅講中」、台石左側面には「林助 他10名の名」が刻まれている。高さ121cm。

7.庚申塔
  その2

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 庚申塚の石段から見て前列の左から2番目にある。正面に、六臂の青面金剛像を彫り、青面金剛は邪鬼を踏み付けている。その下に三猿が刻まれている。左側面に「寛延三庚午(1750年)十一月日」とその左下の方に「青菅村講中」と刻まれている。この庚申塔は、元は宮ノ台1丁目17青菅小学校校庭西南端付近(旧住所:青菅字門原914)にあったものである。高さ137cm。

8.庚申塔
  その3

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 庚申塚の前列の右端にある。正面には日輪・月輪、その下に「庚申塔」と文字が刻まれている。右側面に「青菅邑講中」、左側面に「享和三亥歳(1803年)十一月吉日」と文字が刻まれている。この庚申塔も元は青菅小学校校庭の西南端付近の庚申塚にあったものである。高さ138cm。

9.庚申塔
  その4

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 この庚申塔は、庚申塚の上の中列の左に位置する。正面に「庚申塔」の文字、台石の正面に三猿が彫られている。右側面に「弘化五申年(1848年)如月(2月)、台石右側面は文字が読み取りにくいが平成4年佐倉市石造物調査によれば「世話人 小嶋勝太郎 他18人の名」が刻まれている。この庚申塔も、元は青菅小学校校庭西南端付近の庚申塚にあったものである。高さ123cm。

10.庚申塔
  その5

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 この庚申塔は、庚申塚の上の中列の右に位置する。正面には日輪と月輪その下に「庚申塔」の文字、台石の正面に三猿が彫られている。右側面に「青菅村講中」の文字が、左側面には「文政九戌歳(1826年)霜月(11月)吉日と文字が刻まれている。この庚申塔も、元は青菅小学校校庭西南端付近の庚申塚にあったものである。高さ121cm。

11.庚申塔
   その6

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 この庚申塔は、庚申塚の上の最後列にある。石に線刻で日輪・月輪の模様が施され、その下の中段部分は、中央に「青面金剛」その右に「明治三十年丁酉(1897年)十二月廿八日」左に「五穀成就」と、下部には「願主 設楽佐太郎」と文字が刻まれている。この庚申塔も元は青菅小学校校庭西南端付近の庚申塚にあったものである。高さ120cm。

12.遷仏遷座記碑

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 この碑は、庚申塚の上、石段の所から見れば右の手前の端付近にある。ユーカリが丘の開発に伴い、ここに石碑・石仏を移したことを記している。正面および裏面に文字が刻まれている。正面には、まず上部に「遷佛遷座記」その下に「山万株式会社の参賀に依り遷佛遷座す 昭和五十二年(1977年)七月五日」、最下部に「寄贈 飯髙造園土木株式会社」と文字が刻まれている。裏面には「卋話人 区長田中進 小島令孝 飯髙文寿 長谷川春𠮷 長谷川正雄」と刻まれている。高さ51cm。

13.道標

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 この道標は、庚申塚の上の右の端の方にあり、文字がかなり薄れてやっと読めるくらいである。正面の真ん中は「正面 當区先崎ヲ圣テ岩戸渡船場ニ至ル」、その右は「右下高野上高野城橋方面ニ至ル」、左には「左井野町勝田大和田方面ニ至ル」と文字が刻まれている。左側面には「大正八年(1919)戦捷講和記念」、右側面には「志津村青菅青年団高岡高次郎 小嶋政雄」と文字が刻まれている。第一次大戦の戦勝講和を記念して建てた道標である。高さ55cm。

佐倉石碑クラブ

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