飯田台西の墓地

(住所:佐倉市飯田1620の北方あたり)

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1.飯田台西の墓地
  の馬頭観音群

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 飯田の慈眼寺の裏の坂道を登り家並が途切れると、台地の縁に沿ってかなり広い墓地がある。飯田地区の人々の先祖代々のお墓が沢山あり、元禄などの文字が墓碑に見えることから、古い時代から人々がここで生活していたことがわかる。この墓地の北のはずれの道の右側の一角に沢山の馬頭観音などの石碑・石仏が集まっている。
 馬頭観音とはっきり文字等で分かるのは、11基。昭和に建てられたのが6基(昭和6年7月、昭和12年8月、昭和13年7月は2基、昭和16年8月、昭和18年5月)、明治は1基(明治20年4月)、江戸時代は1基(寛延2年2月)、年代の不明なものは3基。  大日如来が彫られた石碑が3基(享保7年10月、寛保3年8月、宝暦6年8月)。

2.馬頭観音群の
  最前列の石碑

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  この左端の大日如来の彫られている石碑(高さ約70cm)には、「寛保三癸亥年(1743年) 八月三日 法印宥 権左エ門他7名の名 同行敬白」と記されている。 この石碑は大日如来を本尊とする出羽三山碑、時念仏塔などであることが考えられる。
 真ん中の「馬頭観世音」と文字が刻まれた碑は高さ約1m30cm、「昭和六年(1931年)七月十八日」の文字が左に見え、台石には「飯田区一同」と記されている。
 右端の馬頭観音は、高さ95cm、右側面に「奉建立馬頭観音 飯田村中」、左側面に「寛延二己巳(1749年)二月中八日謹言」と文字が刻まれている。

3.馬頭観音群の前
  から2列目にある
  大日如来の像が
  彫られた石碑

 
  
 

  上の大日如来が彫られた石碑は、馬頭観音群の前から2番目の列の左右にある。前の列とあまり離れてないため、斜めからの写真となった。 これらの石碑は大日如来を本尊とする出羽三山碑、時念仏塔などであることが考えられる。
 左側のは、正面左に「享保七壬寅(1722年)十月十八日」、右に「奉造立大日如来為二世安楽」と記されている。高さ約70cm。
 右側のは、像の右上に「寶暦六丙子年(1756年)、左上に「子八月八日」と記されている。高さ約70cm。

佐倉石碑クラブ

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