飯重西北石仏群

(住所:佐倉市飯重1064-1付近)

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1.石仏群

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 石碑・石仏が5基並んでいる。石仏群への道順は次のとおりである。 京成臼井駅から南東に1.4㎞進むと大型店舗があるので、その手前の交差点を左に行く。 200m進みホームセンターの先の交差点を右に行く。200m進むと左に石仏群がある。

2.馬頭観音

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 石仏群に向かって一番左にある。正面に馬頭観音像が彫られている。 正面右に「且一功徳慈眼視衆生福聚海無量是○○」、正面左に「享保十八癸丑歳(1733年)三月十九日 施主 飯重村」の文字が彫られている。

3.馬頭観音

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 左から2番目にある。正面上部に馬頭観音を表す種字「ウーン」、その下に馬頭観音像が彫られている。正面左に「享保十八癸丑歳(1733年)三月十九日 施主 飯重村」の文字が彫られている。 正面右には「具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故應頂禮也」と法華経観世音菩薩普門品の一節が刻まれている。 この一節は「観音様にはあらゆる功徳が具わっています。その慈しみの眼でわれわれを見守ってくれています。 幸福の集まりは海のように無量にある(観音様の功徳と慈悲は計り知れない。)から帰命頂礼すべきです」と述べたものである。高さ110㎝。

4.道路竣工記念  

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 左から3番目にある。正面上部に横書きで「道路竣工記念」と文字が彫られている。その下に彫られた碑文を要約すると次のとおりである。
 飯重部落は道路に恵まれなかった。交通の利便性をはかるため部落が主体となって昭和30年1月に工事に着工した。 昭和31年1月佐倉市へ合併し、昭和33年度失業対策事業に採択された。幅員5.6m延長1425m。勤労奉仕人員延4000人、部落寄付金30万円、失業対策事業費金1113万円。 当部落の近代生活動脈となった。最後に「御成婚記念昭和三十四年四月十日 佐倉市飯重部落」となっている。
 記念碑裏に「寄附者名 一.壱万五阡円也 石井重三郎(他100件以上)」の文字が彫られている。高さ2m。

5.念仏塔

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 左から4番目にある。正面に「観音菩薩」の文字が彫られている。本体は文字が明瞭に見え古くはないようであるが、傘は風化が進んでおりかなり古いように見える。高さ110㎝。

6.庚申塔  

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 左から5番目にある。正面上部に日輪、月輪、瑞雲、正面中央に青面金剛像、その下に邪鬼、三猿が彫られている。正面右に「元文五庚申年(1740年)十月吉日」、正面左に「飯重村惣村中」の文字が彫られている。高さ120㎝。       

佐倉石碑クラブ

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