高産霊神社

(住所:佐倉市生谷497)

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1.高産霊神社

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 高産霊神社(たかむすびじんじゃ)は生谷の産土神社(うぶすなじんじゃ)である。 祭神は高産霊尊(たかみむすびのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)である。 由来については後述の高産霊神社由来記碑参照。
 高産霊神社への道順は次のとおりである。京成臼井駅から南東に700m進むと左に飲食チェーン店があるので、その手前の交差点を右に行く。 1.3km進むと右にコンビニエントストアがあるので、その先の三叉路を右に行く。100m進むと交差点の左前方にぽっくり弁天があり、その先右に高産霊神社がある。

2.配置図

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 高産霊神社の石碑・石仏の配置はこの図のとおりである。
 A1 常夜燈
 B1 狛犬
 B2 手洗石
 B3 高産霊神社由来記碑
 C1 常夜燈
 C2 狛犬
 C3 手洗石
 C4 記念碑
 C5 記念碑
 C6 地神塔
 C7 大杉神社
 C8 富士講碑
 C9 富士講碑
 C10 石碑
 C11 生谷会館建設記念碑
 C12 生谷神社並青年会館建設記念碑
 C13 常夜燈
 C14 古峰神社
 D1 猿田彦之命社(石造物なし)
 D2 金毘羅神社(石造物なし)
 D3 天満宮(石造物なし)
 D4 子安神社(石造物なし)
 D5 天王社(石造物なし)


3.常夜燈
  配置A1

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 高産霊神社入口の常夜燈である。双方とも竿に「奉納」、基礎に「氏子中」の文字が彫られている。 建立日の記載はないが平成以降と思われる。高さ125㎝。

4狛犬
 配置B1

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 左狛犬の台石左側面、右の狛犬の台石右側面に「當村 氏子中」の文字が彫られている。 左狛犬の台石右側面に「嘉永六年(1858年)十一月吉日」の文字が彫られている。高さ80㎝。

5.手洗石
  配置B2

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 正面に「奉納 氏子中」の文字が彫られている。左側面に「當村 世話人 市原庄兵エ(他7名)の文字が彫られている。 右側面に「嘉」の文字だけが見えるが苔が生えていて全体が見えない。 平成4年佐倉市石造物調査によると「嘉永元戊申年(1848年)四月吉日 根本清兵エ(他6名)」の文字が彫られている。高さ50㎝。

6.高産霊神社
  由来碑
  配置B3

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 由来記碑の碑文を要約すると次のとおりである。観応元年(1350年)3月2日に大已貴命(オオナムチノミコト)を祭って創立。 元は「大六天」と呼ばれてきたが、明治元年(1868年)4月「高産霊神社」と改称。次に高産霊神社の末社5社 八坂神社 金毘羅神社 子安神社 疱瘡神社 天満天神 の説明が続く(ただし、現在の末社5社は上記2.配置図に記載しているとおりであり若干異なる)。 最後に「この由来記は佐倉都市環境整備生谷基金によって建立されたものである。平成十五年二月吉日 佐倉生谷神社役員」となっている。高さ180㎝。       

7.常夜燈
  配置C1

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 双方の正面に「奉納」の文字が刻まれている。左常夜燈左側面に「若者中」、右側面に「願主 市原繁七(他1名)」の文字が刻まれている。 右常夜燈左側面に「文化十四丁丑(1817年)十一月吉日」の文字が彫られている。高さ180㎝。

8.狛犬
  配置C2

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 左狛犬左側面、右狛犬右側面に「奉納 氏子中」の文字が刻まれている。 左狛犬正面に「嘉永三庚戌年(1850年)十二月 當村」の文字が刻まれている。高さ80㎝。  

9.手洗石
  配置C3

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 この手洗石は境内にある金毘羅神社(配置D2)の手洗石である。 正面に「奉納」、左側面に「安政七庚申(1860年)三月吉日」、右側面に「願主 真野吉次郎(他1名)」の文字が刻まれている。高さ20㎝。  

10.記念碑
   配置C4

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 記念碑の碑文を要約すると次のとおりである。臼井生谷区画整理組合解散に伴う記念事業について記述。臼井基金9,600万円、生谷基金6,400万円、助成金8,635万円。 事業として道路拡張、神社改修、専栄寺新築、ライスセンター設立など。最後に「平成二十三年三月吉日(2011年)建之 生谷環境整備委員会」となっている。高さ115㎝。  

11.記念碑
   配置C5

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 近隣の道路整備の記録が記述されている。最後に「昭和二十五年五月建設 千代田町生谷」となっている。高さ140㎝。

12.地神塔
   配置C6

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 地神塔は地神信仰に基づいて地神講あるいは社日講によって造立された石塔である。 五角柱で各面には次の文字が刻まれている。「倉稲魂命 天保九戊戌年(1838年)」「埴安媛命」「少彦名命」「大己貴命 二月廿六日」「天照大神」。高さ75cm。

13.大杉神社
   配置C7

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 正面に「大杉神社」、右側面に「氏子中」、左側面に「明治十三年(1880年)十一月廿七日」の文字が刻まれている。高さ70㎝。 大杉神社の総本山は茨城県にある。

14.富士講碑
   配置C8

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 正面上部に「奉納」の文字が刻まれている。正面中央は剥落が激しく判読できない。 隣にある富士講碑と形状が類似しているので富士講碑であることが推測できるる。高さ100㎝。

15.冨士講碑
   配置C9

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 正面上部に「奉納」の文字が刻まれている。正面中央は剥落が激しく判読できない。 左側面に「大正五年(1916年)二月吉日」、台石正面に「富士一山 ○○」の文字が刻まれている。高さ100㎝。

16.石碑
   配置C10

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 正面に「宝暦八戌寅(1758年)八月吉日 生谷村 市原勘左エ門」の文字が刻まれている。高さ100㎝。 この石碑は一部がないことも考えられ何のために建立したものかわからない。

17.生谷会館建設
   記念碑
   配置C11

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 碑文を要約すると次のとおりである。平成6年4月会館委員会発足。財源は臼井生谷区画整備事業の剰余金。 生谷会館を千代田地域防災拠点集会場として建設する。平成11年3月27日完成。総事業費6,500万円。 最後に「委員長 真野真道(他15名) 平成十二年三月吉日」となっている。高さ180㎝。

18.生谷神社並
   青年会館建設
   記念碑
   配置C12

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 正面の碑文を要約すると次のとおりである。
一.弁財天移築工事 昭和51年遷座
二.高産霊神社拝殿新築工事 昭和52年完成
三.青年館新築工事 昭和49年建設
裏面に「昭和五十三年三月吉日建之」の文字が刻まれている。高さ180㎝。

19.常夜燈
   配置C13

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 この常夜燈は境内にある子安神社(配置D4)の常夜燈である、 双方とも竿正面に「奉納子安大明神」、竿左側面に「嘉永四辛亥(1851年)二月吉日」の文字が彫られている。高さ105㎝。

20.古峯神社
   配置C14

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 台石正面に「古峯講中」、台石右側面に「生谷 市原米倉(他3名)の文字が刻まれている。高さ70㎝。

佐倉石碑クラブ

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