この碑は、中世この地の領主であった臼井氏とくすのきの縁を述べ現在のこの地に碑文を建てたことを
石にきざんでいる。以下に碑文を記す。
「 楠の由来
ここより北に約一五粁の所 字八幡台と称する地に鎮守八幡社あり 毎年九月十日祭礼を行い村人の尊崇特
に高く氏神様として崇められていた 暦応元年八月十五日(西暦一三三六年)臼井城中興の祖興胤公
この社を領内の総鎮守として祭り社横に楠をお手植せり 楠は年を重ね大楠樹となり周囲五丈余又東方
に九尺隔てゝ回り一丈にもなるものが二本ありて大楠樹の根付きたるものなりと伝えられる
その根は印旛沼の中程に迄突き出て垂れ下っていたと聞く 根本の周囲に三丈余もある洞があり
中にて乞食が博打をしていたと伝えられる 明治五年の大雪で折れた大枝の為拝殿が潰されて了った
と云われている(利根川図誌より)今は大楠樹も枯れて僅かに根の一部のみが残っているに過ぎない
此の縁起に因み発展する臼井のシンボルとして 新しい街の中心である駅前に大楠を植樹した
立派に生長し再び臼井の名木として永く地元の人々の心の糧となることを望むものである
昭和五十五年六月吉日 佐倉市臼井駅南土地区画整理組合 寄贈者 合資会社林農社 中台一男」 高さ80cm
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