1.西福寺
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西福寺の正式名は清水山西福寺。宗派は真言宗豊山派。本尊は阿弥陀如来。
三百数十年前井野の稲野山千手院の隠居寺として建てられた。現在は無住のため千手院の兼務寺となっている。
現在の本堂は昭和41年再建されている(45.西福寺再建記念碑参照)。
西福寺は明治時代に井野小学校であったことがあり、以前道路沿いに「井野小学校跡」と表記した標柱があった。
西福寺の石碑、石仏は総じて大きい。
西福寺への道順は次のとおりである。志津駅を南に400m行くと交差点志津駅南側があるので、そこを右に行き150m先の三叉路を左に行く。
500m行くと右に中学校の校庭があるので、その反対側の左の下り坂を道なりに100m行くと左にある。
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2.西福寺配置
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A 子安観音群
B 大師堂付近
D 宝篋印塔他
E 秩父巡拝塔
F 西福寺再建記念碑
H 出羽三山碑
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3.子安観音群
配置A
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子安観音群の配置は上図のとおりである。以下に子安観音を配置の順で紹介する。
子安観音の台石に刻まれている文字は地面の土が付着していて読み取れないものが多い。
一番古いものは配置A20の寛政元年(1789年)、一番新しものは配置A9の平成14年(2002年)である。
子安観音を213年間に渡って建立したことになり建立年の間隔を平均すると11年間となる。
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4.子安観音
配置A1
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正面中央に子安観音像が彫られている。
右側面に「子安講中」、左側面に「昭和四十五年三月建之」の文字が彫られている。高さ130㎝。
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5.子安観音
配置A2
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「子安講中」、右側面に「昭和三十七年三月吉建之」の文字が彫られている。高さ130㎝。
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6.子安観音
配置A3
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「子安講中」、右側面に「昭和三十年三月建之」の文字が彫られている。高さ120㎝。
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7.子安観音
配置A4
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「子安講中」、右側面に「昭和二十年三月建之」の文字が彫られている。高さ120㎝。
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8.子安観音
配置A5
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「子安講中」、右側面に「昭和十年三月建之」の文字が彫られている。高さ100㎝。
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9.子安観音
配置A6
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表面の剥落が激しく、上部が欠損しているが子安観音像が彫られているように見える。建立日不明。高さ80㎝。
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10.子安観音
配置A7
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正面中央に子安観音像が彫られている。左側面に「大正四年(1915年)〇〇」の文字が彫られている。高さ100㎝。
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11.子安観音
配置A8
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正面中央に子安観音像が彫られている。左側面に「明治三十九年(1906年)三月吉日建之」の文字が彫られている。高さ90㎝。
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12.子安観音
配置A9
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正面中央に子安観音像が彫られている。
右側面に「子安講」、左側面に「平成十四年三月吉日建之」、台石正面に「世話人 田中克幸(他25名) 高橋由起美(他3名)」の文字が彫られている。高さ140㎜。
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13.子安観音
配置A10
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正面中央に子安観音像が彫られている。
右側面に「子安講中」、左側面に「平成元年十二月吉日」、台石正面に「世話人 高石勝男(他1名) 高石和子(他11名)」の文字が彫られている。高さ130㎝。
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14.子安観音
配置A11
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「昭和五十四年十二月吉日建之」、台石正面に「世話人 豊田昭(他5名) 小沢さく(他15名)」、台石左側面に「志津久子(他35名)」の文字が彫られている。高さ140.㎝。
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15.十九夜塔
配置A12
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正面中央に如意輪観音像が彫られている。
正面右に「庚 天保十一年(1840年)」、正面左に「子 二月吉日」の文字が彫られている。高さ80㎝。
正面右の「庚」と正面左の「子」で天保十一年の干支である「庚子」となる。
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16.十九夜塔
配置A13
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石仏の下部がない。正面中央に如意輪観音像が刻まれている。
左側面に「弘化五申(1848年)三月吉」の文字が彫られている。高さ50..㎝
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17.子安観音
配置A14
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正面中に子安観音像が彫られている。
右側面に「女人講」、左側面に「明治廿九年申年(1896年)三月十日」、台石正面に「志津タミ(他18名)」、台石左側面に「セワ人 蜂谷サキ(他12名)」の文字が彫られている。高さ90cm。
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18.子安観音
配置A15
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正面中央は剥落しているが子安観音像が彫られている。
左側面に「明治二十亥年(1887年)、右側面に「五月十五日」、台石正面に「志津タミ(他24名)」、台石左側面に「セハ人 小沢イチ(他11名)」、台石右側面に「蜂谷ミツ(他24名)」の文字が彫られている。高さ90㎝。
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19.子安観音
配置A16
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正面中央に子安観音像が彫られている。
正面左に「〇〇世音」、左側面に「明治十六年未(1883年)五月吉日」、正面下部に「女人講」の文字が彫られている。高さ70㎝。
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20.子安観音
配置A17
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正面中央に子安観音像が彫られている。左側面に「明治四未(1871年)吉日」の文字が彫られている。高さ80㎝。
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21.十九夜塔
配置A18
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正面中央に如意輪観音像が彫られている。正面左に「享和四子年(1804年)五月吉日」の文字が彫られている。高さ80㎝。
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22.子安観音
配置A19
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正面中央に子安観音像が彫られている。
左側面に「文久二壬戌(1862年)三月吉日」の文字が彫られている。高さ60㎝。
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23.十九夜塔
配置A20
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正面中央に如意輪観音像が彫られている。
正面左に「寛政元己酉(1789年)三月吉日」の文字が彫られている。高さ60㎝。
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24.大師堂付近
配置B
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大師堂付近の配置は上図のとおりである。以下に大師堂付近の石碑を配置の順で紹介する。
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25.四国八十八箇所
配置B1
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正面中央に「四国八十八カ所内四十八番」、裏面に「大正四年(1915年)ニ月廿一日 ケミ川ハシ本 石工忠〇」、台石正面に「大師堂再建寄附者名 一.金七円 豊田縫之亟(他29名)」、台石右側面に「蜂谷茂蔵(他31名)」、台石左側面に「蜂谷セツ(他25名)」、台石裏面に「田中豊治(他31名)」の文字が彫られている。高さ130㎝。
四国八十八カ所内四十八番は松山市の西林寺である。上志津西福寺は千葉寺十善講の札所である。
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26.手水石
配置B2
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正面に「奉納」、右側面に「嘉永六丑(1853年)四月吉日」、左側面に「當村中」の文字が彫られている。高さ30㎝
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27.坂東西国秩父
巡拝塔
配置B3
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正面中央に「奉供養坂東西国秩父百番大願成就所」、左側面に「天下泰平風雨順時 五穀成就萬民豊楽 安政三年辰(1856年)四月吉日當山法印早観敬白」、正面台石に「世話人 當山蜂谷源右エ門〇〇」の文字が彫られている。
右側面に文章が刻まれているが彫りが浅く判読できない。高さ160㎝。
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28.宝篋印塔他
配置D
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宝篋印塔他の配置は上図のとおりである。以下に宝篋印塔などの石造物を配置の順で紹介する。
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29.宝篋印塔
配置D1
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彫られている文字がほとんど判読できない。
平成4年佐倉市石造物調査によると正面に「寶篋印陀羅尼経日 若有」、左側面に「元禄十六年天未(1703年)二月」の文字が彫られている。高さ160㎝。
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30.六地蔵
配置D2
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石幢(せきどう)六面六地蔵である。各面は次のとおりである。なお、六面に地蔵菩薩が彫られているが、その容姿は各々異なる。高さ190㎝。
(1)正面
上部に地蔵菩薩像が彫られている。下部に「是空信士 金剛寶地蔵 浄春禅定門」の文字が彫られている。金剛寶地蔵は餓鬼道の者を救う。
(2)左側面
上部に地蔵菩薩が彫られている。下部に「権大僧都宥慶〇修福善 金剛悲地蔵 享保十二丁未(1727年)正月廿四日」の文字が彫られている。金剛悲地蔵は畜生道の者を救う。
(3)左側面の更に裏側
上部に地蔵菩薩像が彫られている。下部に「金剛光地蔵」の文字が彫られている。金剛光地蔵は人道の者を救う。
(4)右側面
上部に地蔵菩薩像が彫られている。下部に「金剛願地蔵」の文字が彫られている。金剛願地蔵は地獄道の者を救う。
(5)右側面の更に裏側
上部に地蔵菩薩像が彫られている。下部に「金剛賀地蔵」の文字が彫られている。金剛賀地蔵は天道の者を救う。
(6)裏面
上部に地蔵菩薩像が彫られている。下部に「金剛幢地蔵」の文字が彫られている。金剛幢地蔵は修羅道の者を救う。
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31.光明真言搭
配置D3
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この石碑は前にある石碑との距離が短く正面の様子がよくわからない。
正面中央の円形内に光明真言の文字が刻まれている。左側面に「享和二戌(1802年)二月吉日」の文字が彫られている。高さ70㎝。
光明真言は真言宗において唱えられる大日如来の真言である。この石碑では確認できないが、光明真言は写真右の梵字で表される。
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32.秩父巡拝塔群
配置E
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秩父巡拝塔群の配置は上図のとおりである。以下に秩父巡拝塔を配置の順で説明する。
台石に刻まれている文字は地面の土が付着していて読み取れないものが多い。
一番古いものは配置E4の安政2年(1855年)、一番新しものは配置E11の平成14年(2002年)である。
秩父巡拝塔を147年間に渡って建立したことになり建立年の間隔を平均すると13年間となる。
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33.秩父巡拝塔
配置E1
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形状は四角柱型。正面中央に「秩父観世音供養塔」、右側面に「昭和廿五年十一吉日」、台石正面に「先達 小沢吉兵門 小沢ふく(他10名)」の文字が彫られている。高さ100㎝。
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34.秩父巡拝塔
配置E2
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形状は四角柱型。正面中央に「秩父観世音供養塔」、左側面に「明治十四年(1881年)四月建之」の文字が彫られている。高さ140㎝。
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35.秩父巡拝塔
配置E3
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形状は四角柱型。正面中央に「秩父観世音供養塔」、左側面に「明治三十三季(1900年)三月七日」の文字が彫られている。
台石の文字はほとんど読み取ることができないが台石右側面に「サギ沼石工 廣瀬音五郎」の文字が刻まれているのがわかる。高さ170㎝。
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36.秩父巡拝塔
配置E4
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形状は四角柱型。正面中央に「秩父観世音供養塔」、左側面に「天下泰平萬民豊楽各成善苗平等利潤」の文字が彫られている。右側面に文章が刻まれている。
彫りが浅く漢字のみの表記となっているので読み取ることが困難ではあるが「諸佛・・・・安政二年(1855年)・・・」の文字が読み取れる。高さ160㎝。
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37.秩父巡拝塔
配置E5
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「昭和五年三月吉日建之」、裏面下部に「志津春吉母(他37名) 先達 蜂谷銀蔵(他5名) 検見川ハシ本石忠号 小川忠三刻」の文字が彫られている。高さ250㎝。
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38.秩父巡拝塔
配置E6
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「昭和三十三年十一月建之」、裏面下部に「昭和三十二年四月廿日参拝 先達 志津行(他23名) 昭和三十年四月二十日参拝 蜂谷げん(他2名)」の文字が彫られている。高さ200㎝。
参拝したのは昭和30年と昭和32年の2回あり、建立したのが昭和33年となっている。
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39.秩父巡拝塔
配置E7
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「先達 蜂谷豊治(他16名) 昭和三十五年三月十一日参拝」の文字が彫られている、高さ210㎝。
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40.秩父巡拝塔
配置E8
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「先達 小沢佶(他4名) 小沢けい(他28名) 昭和四十五年十一月建」の文字が彫られている。高さ210㎝。
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41.秩父巡拝塔
配置E9
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「昭和五十五年四月参拝」、裏面下部に「世話人 豊田昭(他3名) 志津久子(他21名) 昭和五十五年十月吉日建之」の文字が彫られている。高さ150㎝。
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42.秩父巡拝塔
配置E10
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「平成三年五月参拝」、裏面下部に「世話人 高橋陸男(他2名) 蜂谷喜美江(他21名) 平成三年十二月吉日建之」の文字が彫られている。高さ150㎝。
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43.秩父巡拝塔
配置E11
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「平成十四年七月参拝 平成十四年十二月吉日建之」、裏面下部に「世話人 田中克幸(他4名) 田中とも子(他17名) 施工 高橋石材興行」の文字が彫られている。高さ150㎝。
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44.秩父巡拝塔
配置E12
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正面中央に「秩父観世音供養塔」、裏面上部に「講元 志津四朗 世話人 蜂谷芳造(他12名) 講員四十七人 蜂谷由松妻トラ(他46名) 昭和十六年五月建之 久〇 石工 吉野信次郎」の文字が彫られている。高さ250㎝。
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45.西福寺再建
配置F
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記念碑正面の碑文を要約すると次のとおりである。
西福寺は三百数十年前に稲野山千手院の隠居寺として建てられた。僧職の存在もあったが、無住寺となり千手院の兼務寺となった。
災禍にも合わなかったが腐朽毀損が甚だしく檀家一同で建設委員会を組織し昭和四十一年四月に庫裏を、昭和四十一年七月に本堂を、総工額八百萬円で起工し昭和四十一年十一月に完成した。
この文以降は再建に携わった人々への感謝の文が続き、檀徒総代の氏名などが続く。最後に「昭和四十一年十二月四日落慶供羪」となっている。
裏面には寄附者芳名が刻まれている。高さ130cm
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46.出羽三山碑群
配置H
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出羽三山碑の配置は上図のとおりである。以下に出羽三山碑を配置の順で紹介する。
一番古いものは配置H9の安政7年(1795年)、一番新しいものはH1の平成21年(2009年)である。
出羽三山碑を214年間に渡って建立したことになり建立年の間隔を平均すると15年間となる。
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47.出羽三山碑
配置H1
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が刻まれている。正面中央に「月山」、その右に「羽黒山」、左に「湯殿山」の文字が彫られている。
裏面上部に「奥州出羽三山参拝同行者 平成二十年八月一日参拝」、裏面下部に「先達 豊田晃司(他3名)志津紀幸(他11名) 平成二十一年一月吉日建立」の文字が彫られている。高さ160㎝。
石碑の周囲に建てられているのは梵天である。梵天は藁と御幣と竹で作られる。梵天供養が行われている様子を見ることができるのは貴重である。
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48.出羽三山碑
配置H2
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が刻まれている。
正面中央に「月山大神」、その右に「羽黒山大神」、左に「湯殿山大神」の文字が彫られている。裏面に「昭和二十八年八月一日参拝 同行者連名 先達 志津昇次(他2名) 蜂谷新兵衛(他28名) ケミ川石忠刻 昭和廿九年七月十九日建之」の文字がほられている。高さ190cm。
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49.出羽三山碑
配置H3
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山」、その右に「羽黒山」、左に「湯殿山」の文字が彫られている。裏面に「奥州三山同行者氏名 先達 高石泰助(他3名) 花島静夫(他26名) 昭和四十二年九月建之」の文字が彫られている。高さ170㎝。
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50.出羽三山碑
配置H4
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山」、その右に「羽黒山」、左に「湯殿山」の文字が彫られている。裏面上部に「奥州出羽三山参拝同行者名 昭和五十四年七月二十九日」、裏面下部に「先達 高石幸男(他4名) 志津満男(他16名)」の文字が彫られている。高さ160㎝。
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51.出羽三山碑
配置H5
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山」、その右に「羽黒山」、左に「湯殿山」の文字が彫られている。裏面上部に「奥州出羽三山参拝同行者 平成元年八月五日」、裏面下部に「先達 植田照雄(他4名) 植田寛(他16名)」の文字が彫られている。高さ160㎝。
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52.出羽三山碑
配置H6
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山」、その右に「羽黒山」、左に「湯殿山」の文字が彫られている。裏面上部に「奥州出羽三山参拝同行者名 平成十年八月一日」、裏面下部に「先達 田中茂」(他2名) 小沢和夫(他26名) 平成十年十二月建之」の文字が彫られている。高さ160㎝。
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53.出羽三山碑
配置H7
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「湯殿山 供羪塔」、その右に「月山」、左に「羽黒山」の文字が彫られている。左側面に「天保五年(1834年)十一月吉日」、右側面に「講中」の文字が彫られている。高さ90㎝。
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54.出羽三山碑
配置H8
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「湯殿山」、その右に「月山」、右に「羽黒山」の文字が彫られている。正面下部に大日如来像が彫られている。左側面に「文化十二亥(1815年)二月吉日」の文字が彫られている。高さ90㎝。
大日如来は神仏分離以前は湯殿山の本尊である。
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55.出羽三山碑
配置H9
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正面上部に「湯殿山」、その右下に「羽黒山、左下に「月山」の文字が彫られている。
正面中央に大日如来像が彫られている。左側面に「寛政七卯(1795年)十月吉日」の文字が彫られている。高さ60㎝。
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56.出羽三山碑
配置H10
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山神社」、その右に「出羽神社」、左に「湯殿神社」の文字が彫られている。裏面に「明治十二年(1879年)五月五日」の文字が彫られている。高さ130㎝。
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57.出羽三山碑
配置H11
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正面中央に「月山神社」、その右に「出羽神社」、左に「湯殿神社」、裏面に「明治廿九年(1896年)四月建之」の文字が彫られている。高さ170㎝。
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58.出羽三山碑
配置H12
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正面中央に「湯殿山 供養塔」、その右に「月山」、左に「羽黒山」、裏面上部に「安政六未(1859年)四月」、裏面下部に「當村蜂谷源五右エ門(他19名) セハ人小沢吉兵エ(他5名) 先達仲村三良兵エ(他8名)」の文字が彫られている。高さ140㎝。
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59.出羽三山碑
配置H13
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正面上部に日輪、月輪が彫られている。
正面中央に「月山神社」、その右に「出羽神社」、左に「湯殿神社」、裏面に「明治丗四年(1901年)四月十五日建之」の文字が彫られている。高さ150㎝。
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60.出羽三山碑
配置H14
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正面中央に「月山神社」、その右に「出羽神社」、左に「湯殿神社」、裏面上部に「大正九年(1920年)四月十五日建之」、裏面下部に「先達 蜂谷房次郎(他3名) 小沢勇造(他20名) ケミ川仲丁 石金」の文字が彫られている。高さ180㎝。
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61.出羽三山碑
配置H15
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正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。
正面中央に「月山大神」、その右に「出羽大神」、左に「湯殿山大神」の文字が彫られている。裏面右に「先達 蜂谷良助(他5名) 蜂谷岩次郎(他40名)」、裏面左に「昭和十一年四月十五日建之」の文字が彫られている。高さ220㎝。
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