井野町稲荷神社

(住所:佐倉市井野1613)

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1.井野町の
  稲荷神社  

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 加賀清水公園に隣接する井野町の稲荷神社は、稲倉魂命を祭神とし、文化年間に創立されたといわれている。 井野新田の鎮守として氏子の信仰も厚く、毎年10月には稲荷神社大祭が行われている。 境内には井野町青年会館があり、8月には夏祭りが行われるなど地域の人々の拠り所となっている。 地元の方によると、以前は境内に江戸時代からの大きな松が5~6本あり、街道から旅人の目印にもなっていたそうだ。

2.秩父参拝碑と
  子安塔

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 石の鳥居をくぐって左、井野町青年会館の手前のコンクリート製の台座上に、 「秩父・善光寺・坂東巡礼供養塔」の文字のある石碑3基(上記2の写真の左の3基)と、 幼子を抱く子安観音の刻まれた石塔6基、剥離が激しく文字が読めない石碑が1基が並んでいる。 境内には、女性たちの秩父参りの石碑の他、男性たちの出羽三山参りの石碑が建っている。

3.秩父参拝碑ー1   

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 上記2の写真の一番左の石碑である。向かって正面に「秩父・善光寺・坂東巡礼供養塔」、 その右側に「昭和三十九年(1964年)四月十五日参拝」、右側に「昭和三十九年九月十八日建之」、 下部に「世話人吉田誠司、井坂正子以下17名の女性の名」が刻まれている。 高さ約140cm。 

4.秩父参拝碑ー2

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 上記2の写真の左から3番目の石碑である。向かって正面に「秩父・善光寺・坂東巡礼供養塔」、 その向かって左に「昭和三十年(1955年)九月十八日建之」、下部に「渡辺とよ他17名の女性の名」、 女性たちの名の左端に「サギヌマ石音」と文字が彫られている。高さ約140cm。

5.秩父参拝碑ー3

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 上記2の写真中、左から2番目の石碑である。この石碑は、柵に近接しているため、1枚の写真で撮影できないので、 上部と下部に分けて撮影した。向かって正面に「秩父・善光寺・坂東巡礼供養塔」、 その左に「昭和十七年(1942年)五月十八日建之」、下部に「講元能勢傳、世話人能勢定吉、渡辺とし、 春名いわ、講員吉田いち他18名の女性の名」が刻まれている。高さ約130cm。

6.子安塔ー1

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 上記の2の写真の子安塔後列の一番左の石塔である。台石の正面に「子安講中」、 台石右側面に「塚本ふさ他15名の女性の名」、台石左側面に「能勢しづ他13名の女性の名」と 「昭和三十二年(1957年)十一月十五日建之」と刻まれている。高さ約110cm。

7.子安塔ー2

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 上記2の写真の子安塔のうち後列左から2番目の石塔である。子安観音が刻まれた上部右側面に 「昭和四年(1929年)三月吉日建之」、台石の正面に「子安講中」、台石の右側面に「渡辺とし他12名の女性の名」、 台石の左側面に「塚本とく他19名の女性」の名が刻まれている。高さ約1m。

8.子安塔ー3

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 上記2の写真の子安塔の後列3番目から5番目の石塔である。いずれも台石に「女人講中」と刻まれている。
(1)左端の子安塔
 右側面に「大正九年(1920年)九月吉日」と刻まれている。高さは1m弱。
(2)真ん中の子安塔
 左側面に「明治四十二年(1909年)三月 井野町建之」と刻まれている。高さは1m弱。
(3)右端の子安塔
 正面向かって左上部に「子〇〇〇音」、左側面に「明治廿年(1887年)十月吉日建之 井野新田」と刻まれている。 高さ約85cm。

9.子安塔ー4

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 上記2の写真の子安塔の前列左側の石塔である。子安観音の像はほとんど崩れており、 左側面に「万延元庚申(1860年)十月吉日」の文字が辛うじて読める。台石に「女人講中」と刻まれている。高さ約77cm。

10.月待塔   

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 上記2の写真の子安塔の前列の右側の石塔である。剥離が激しく、全く文字等が判読不能である。平成4年佐倉市石造文化財調査によれば、 正面に「〇〇夜塔」、右側面に「井の村新田」と文字が刻まれている。高さ約65cm。

11.拝殿・石灯籠・
   狛犬

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 石の鳥居から正面に向かって、井野町青年会館の前を過ぎると、石灯籠が左右に2基、その奥に狛犬が左右に2基、その先に拝殿がある。
(1)石灯籠
 高さは約210cm。向かって右の石灯籠の裏面に「昭和63年(1988年)12月吉日」と文字が刻まれている。
(2)狛犬
   狐の像で高さは約163cm。向かって右の狛犬の裏面に「昭和63年12月吉日」と刻まれている。

12.本殿新築寄付
   芳名碑   

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 本殿は昭和63年(1988年)12月に新築された。約100人の方々から新築の寄付がなされている。地域の人々の思いが感じられる。高さ約196cm。

13.本殿と標柱

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 昭和63年に新築された本殿である。銅板葺流造である。「氏子中」と「稲荷神社」の標柱は、高さ89cm。

14.出羽三山
   参拝碑群   

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 本殿向かって右横の塚の上に、前列に4基、後列に1基並んで立っている。

15.出羽三山参拝碑
   その1

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 上記14の出羽三山碑の一番左のものである。石碑の正面上部に、月輪・日輪を刻し、中央に「月山」、右側に「羽黒山」、左側に「湯殿山」、正面向かって右端に「昭和五十七(1982年)年七月二日参拝記念」、正面向かって左端に「昭和五十八年五月吉日建之 施行 印西町  土佐石材工業(株)」、下部に「秋山光司他19名の男性の名」が刻まれている。高さ約190cm。

16.出羽三山参拝碑
   その2   

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 上記14の出羽三山碑の左から2番目の石碑である。正面上部に月輪・日輪を刻し、 その下正面真ん中に「月山」、右に「羽黒山」、左に「湯殿山」、これら三山の左に 「昭和三十六年(1961年)七月十五日登山、昭和三十六年九月八日建之」と刻まれ、 下段に「能勢春吉他20名の男性の名」が刻まれている。高さ約125cm。

17.出羽三山参拝碑
   その3

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 上記14の出羽三山碑の前列左から3番目。石碑正面上部に、月輪・日輪を刻し、 その下の中央に「月山」その右に「羽黒山」左に「湯殿山」と文字が刻まれ、 それらの下に右から横書きで「参拝記念」、下部の右端に「昭和二十七年(1952年) 八月一日登山」 その左に「渡辺又一他10名の男性の名」、そしてその左端に「サギヌマ石音」と文字が刻まれている。高さ約110cm。

18.出羽三山参拝碑
   その4   

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 上記14の出羽三山碑の前列の右端の石碑である。正面上部に月輪・日輪を刻し、その下正面中央に「月山大神」、その右に「湯殿山大神」、左には「羽黒山大神」と文字が刻まれ、下部に「世話人 信田元次郎他5名の男性の名」、その左に「川島久蔵他13名の男性の名」が刻まれ、石碑の裏面に「昭和十四年(1939年)十月六日登山、仝年十月十五日建之」と文字が刻まれている。高さ約160cm。

19.出羽三山参拝碑
   その5

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 上記14の出羽三山碑の後列の石碑である。正面上部に月輪・日輪が彫られ、その下に中央に 「月山」、その右に「羽黒山」、左には「湯殿山」の文字が刻まれ、正面右側に 「平成四年(1992年)七月八日参拝記念」、左には「平成五年七月吉日建之」、 下部に「秋山正昭他18名の男性の名」が刻まれている。高さ163cm。 

20.庚申塔   

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 石の鳥居から入って右手、出羽三山参拝碑群の手前にある。
(1)上記の左の写真は、庚申塔のある祠全景である。祠の入口にしめ縄と幔幕が飾られ、 庚申様の前には榊が備えられている。、地元の人々に大切にされていることがわかる。
(2)上記右の写真は庚申塔である。正面上部に日と月を、また下部に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が彫られ、 中央に大きく「庚申」、その両側に「文政元寅年(1818年)十一月吉日」と記されている。 側面は祠の壁にさえぎられて文字が読み取れない。 この庚申塔は以前、市内井野町字庚申前1456(国道296号線と京成電車との中間)にあった。 古い頃、井野町在住の9人の有志によって建立されたが京成電車が開通するときに前記の庚申前に移り、 さらに数年前に井野町の稲荷神社に移転したものである。

21.庚申塔の手洗石

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 庚申塔を正面に見て、その右側に高さ50cm位の手洗石がある。前記の庚申前1456に祀られていた時 にも庚申塔の祠の傍にあったことを地元の人に伺った。正面に横書きで「奉納」、左側面に「庚申塔奉賛世話人」として、 上志津区10名、井野町区12名の名が刻まれている。年代は不詳。

22.疱瘡神   

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 石の鳥居から見ると右側、庚申塔の手前にある。高さが約135cm。地元の方の話では、 ここに昔からあった疱瘡神の石塔が傷みが激しくなったため建て直したとのことである。 人の往来が盛んだった街道沿いのこの地域は、疱瘡(=天然痘)流行の脅威に常にさらされていたであろう。

23.手洗石   

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 石の鳥居をくぐると鳥居の右前方にある。水道の蛇口がついて、普段お参りに来た人はこの水で清めてからお詣りをする。高さ23cm。正面に横書きで「奉納」、右側面に「氏子中 大正九年(1920)九月吉日」と刻まれている。子安観音にも、大正9年建立のがあり女人講の方々が奉納したものだろうか?

24.近隣地図

  

佐倉石碑クラブ

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