1.成田街道道標
と常夜灯
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これらの石塔群は、成田山新勝寺に参拝する旅人のために建てられたもので、道標2基 句碑兼道標1基 常夜灯1基が集められている。
道標 句碑兼道標は以前は加賀清水へ入るところに建てられていた。
場所は京成志津駅北口から296号線に沿って西(勝田台方面)に徒歩約6分のマンション前路上にある。
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2.道標その1
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上記1の右端にある。「成田山道」と大きく書かれた大きな道標が、歌舞伎の名優七代目市川団十郎ゆかりの成田山道標です。
正面に「成田山道 これより北へ半丁清水原中有り」、右側面に「天はちち 地はかかさまの清水可那 天保二辛卯年(1831年)九月吉日 七代目団十郎 敬白」、左側面に「成田山御参詣の御方様 御信心被遊此清水御頂戴被成候御夫人様方御懐胎被成候事」、裏面に「無疑私御利益を蒙り御信心御方様吃度御子孫長久大願成就」とある。
台石正面には「世は人 當所 林屋 大和田宿 東屋」の文字が見える。 高さは台石ともで141cm。
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3.道標その2
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上記1の中央にある成田山道標には正面に「成田山 信集講者内岩田長兵衛」、右側面に「大和田○里 い乃新田」、左側面に「うす井○里 いの新田」とあるが、「○里」の部分はセメント補修が施されていて不明、裏面に
「○○ ○明書 明治廿七年○午五○」と彫られている。 大きさは台座ともで高さ119cm。
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4.句碑兼道標
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上記1の左端にある。正面上部に「船橋へ四里 成田山五里半」、下部に「春駒やここも小金の原つづ起 古帳女」
と「立ちとまりたちとまるかや舞雲雀 古帳庵」の2つの句が記され、これらの句の右に「江戸小網町」と文字が刻まれている。
裏面に「日本囘国六十六部 鈴木金兵衛 江戸霊厳島南新川 石問屋 伊豆屋與兵衛 井野新町 林屋 惣七
天保十一庚子年(1840年)正月吉日 石工 小坂新兵衛」と文字が刻まれている。
高さ102cm。
なお、この碑にある鈴木金兵衛(=古帳庵)とは、埼玉県入間郡越生町教育委員会の調査によると、
天明元年(1781年)に現在の越生(おごせ)町黒岩で生まれ、江戸で古紙の回収(ふる帳類の買い入れ)で
豪商になり、51歳のとき何らかの理由で発願し、商売を捨てて六十六部となって、
約10年をかけて日本国中の霊場を参拝して歩き回ったとのことである。
心願成就して江戸に戻った金兵衛は、天保11年から弘化4年にかけて、各地に句碑など合わせて百数十基の石碑を建てた。
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5.常夜灯
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正面の上から「成田山」「常夜灯」「蔵前 斉藤庄兵衛 他二名」、裏面「文政十丁亥年(1827年) 五月」と刻まれている。
高さは2m以上。 この常夜灯は江戸時代に敷地西角を北へ100m入ったところにある加賀清水の水を汲み茶を振る舞って
繁盛していた林屋の前に建てられていたものである。
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6.近隣地図
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