青菅の大塚

(住所:佐倉市宮ノ台1丁目17青菅小学校校地内)

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1.青菅の大塚

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 青菅小学校の正門から、校舎の前を通って奥へ進み回り込むと大塚に辿り着く。青菅大塚公園の前の先崎方面に通じる道路から向かうときは、大塚公園の横の通路を青菅小学校の給食室の左手に進むと、大きな木々に蔽われた大塚の前に出る。
 大塚は、江戸時代、元禄年間まで青菅村を統治していた旗本の川口氏の墳墓で、宗勝、宗信、宗次が葬られていると言われている。方形で一辺が約30mである。正門から入って左の体育館の裏手にある小塚が奥方の墳墓で女塚と言われるのに対し、大塚は男塚と呼ばれる。

2.月読尊碑

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 この月読尊の石碑は、この大塚の上り口にあり、幕末から明治にかけて、教育者・歌人・書家・製茶業経営者であった青菅出身の小島泰堂の歌碑である。碑の前に手洗石が置いてあるため下の方の字が写真に写らないが、正面の中央に「月讀尊」、その右に「菶蔫 小島稲子」、左には「時明治十九年(1886年)肇秋(7月) 泰堂翁謹書」とあり、真ん中下部には「能見鏡者食国廼 民之福召所知哉」と文字が刻まれている。この歌は「月読みの鏡を見ればをす国の民のしあわせしろしめすかな」と読むそうだ。高さ90cm位。

佐倉石碑クラブ

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