青菅稲荷神社

(住所:佐倉市青菅1番地)

地図拡大

1.青菅稲荷神社

   photo1
 

 青菅稲荷神社へ行く道はユーカリが丘線中学校駅を起点とすると次のとおりである。まず、中学校駅から青菅小学校に向かう。青菅小学校校庭角に着いたら右折し250mほど進むと左側にある。青菅村の鎮守で、祭神は蒼稲魂命(うがのみたまのみこと)である。
 『印旛郡誌』には「由緒不詳」とあるが、社殿右に掲げられた『改築記念碑』には「当稲荷神社は江戸時代初期当邑地頭御陣主川口氏が妙見社と共に建立」とある。また、「近年本殿上屋及元治元年(1864年)建立の拝殿共に毀損し甚だ憂慮の状態であった折から昭和47年に改築した」と説明している。

2.角柱

  photo1   photo1
 

 一対の角柱が稲荷神社入口の階段12段を上がりきった左右にある。
左側角柱は正面「納」右側面「世ハ人 設楽直治 同 粂」と刻まれている。高さ24cm。
右側角柱は正面「奉」左側面「安政三丙辰年(1856年) 季夏吉祥日」と刻まれている。高さ27cm。
側面の文字は平成4年佐倉市石造文化財調査による。

3.石灯篭

  photo1   photo1
 

 一対の石灯篭が稲荷神社入口の階段12段を上がりきった左右にある。上記2.角柱に近い。
(1)左側石灯篭
正面中央に「御神燈」、正面台石に「氏子中」、裏面中央に「明治三十一年(1898年)」、左側面台石に「サギ沼 石工 廣瀬音五郎」と文字が刻まれている。
(2)右側石灯篭
正面中央に「御神燈」、正面台石に「青菅村」、裏面中央に「九月吉日」、左側面台石に「世話人 設楽重太郎(他2名)」の文字が刻まれている。
いずれの石灯篭も火袋(火をともす所)は新しいものである。

4.手洗石
  その1

   photo1
 

 この手洗石は階段を上って右にある。正面に「奉納」「天保十已亥年(1839年)」「正月吉日」、右側面「岩井長七郎他十八名」、左側面「當村願主奥津平左エ門他六名」が刻まれている。高さ34cm。

5.手洗石
  その2

   photo1
 

 この手洗石は、本殿の右側にある妙見社の前にある。正面「奉納」、右側面「和田氏 惣右エ門 先崎村」、 左側面「天保十年(1839年) 五月吉日」と刻まれている。高さ15cm。

6.稲荷神
  子安塔
  疱瘡神他   

   photo1
 

 本殿脇左奥に5つの石碑が置かれている。 石碑の正面はいずれも判読不能である。
現品と平成4年佐倉市石造物文化財調査結果を突き合わせると次のとおりとなる。向かって右から順次紹介する。
(1)一番目
 「稲荷大神」で左側面に「萬延元申(1860年)八月日」 と刻まれている。高さ41cm。
(2)二番目
 「子安講中」で右側面に「安永二巳年(1773年)十二月廿日」、左側面に「子安講中」と刻まれている。高さ40cm。 
(3)三番目
 「疱瘡神社」で右側面に「文政三辰年(1820年)三月吉日」と刻まれている。高さ30cm。
(4)四番目は不明。
(5)五番目
 左側面に「明治卅七年(1904年)一月吉日」と刻まれている。高さ45cm。
平成4年佐倉市石造文化財調査によると「金毘羅供養塔」もあることになっているが不明。昭和47年の改築の際に一纏めにされたものと推測される。

7.八坂神社石祠
  愛宕神社石祠
  牛頭天王石祠   

  photo1 photo1 photo1

写真左から  八幡神社   愛宕神社   牛頭神社

 

 本殿正面にむかって左脇手前に「八坂明神」、左奥に「愛宕大明神」、右奥に「牛頭天王」が置かれている。いずれも高さ94cm。いずれも石祠裏側の表記から昭和47年の改築の際に建てられたものである。

佐倉石碑クラブ

inserted by FC2 system