先崎雲祥寺

(住所:佐倉市先崎996-2)

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1.臨済宗雲祥寺

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 『千葉県印旛郡誌』には「円応寺末にして臨済宗妙心寺派たり、本尊は釈迦如来にして開基不詳」「創立年月日不詳」「堂宇は明治二十二年十一月九日焼失せしも同二十五年八月再建せり」とある。明治初年の神仏分離令により一村一宇と定められたため、鷲神社の別当寺であった正覚寺が廃寺となりこの寺(尼寺)が残された。寺は丘陵の上にあったが、明治22年に尼僧が強殺放火に遭うという秘められた哀話が残る。今では丘が削られ平坦地となり仏堂兼集会所が建ち、庭の広場には子供たちの遊具などがある広場となっている。
 場所は、ユーカリゴルフセンターからなだらかな坂道を上り、みどり台霊園を過ぎて、その先の緩やかな下り道を通り、佐倉市重要文化財の蕨家長屋門の斜め向かいにある。石の門に「臨済宗雲祥寺」の文字が書かれている。

2.大師堂

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 境内の広場の方から集会所兼仏堂の建物に向かって行くと、垣根の間の入口から入って左側の方にこの祠がある。ここは、千葉寺十善講第55番札所である。佐倉地方には、四国八十八カ所の霊場を遍路するのを模して、佐倉地方の寺院などに札所を設けて遍路する大師講として、六崎組十善講、佐倉組十善講内郷組、千葉寺十善講の3つがある。祠の掲額には、「このところ三島の夢のさめぬれば別宮とても同じすいじゃく」のご詠歌が記されている。毎年4月になると十善講の人々が巡礼し合誦してのち、集会所で休憩を楽しんでいるそうだ。祠の中にわらじがつり下げられていた。

3.大師堂横の石仏群

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 先ほどの大師堂から道路の方に向かって、一列に子安塔・十九夜塔・燈明代奉納碑・読誦塔・地蔵講供養塔が並んでいる。子安塔が多いが、印旛沼の干拓が完成する前はしばしば水害に見舞われていた先崎の人々にとって、安産・子供の健康・子孫繁栄は願わずにはいられない大切なことであったろう。

4.子安塔
  その1

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 前記3の石仏群の左端に建っている。正面に「子安観世音」、その下に「友野ナヲ 他31名の女性の名」が刻まれている。裏面には、相当文字が見づらくなっているが、「茲ニ先崎子安講貯金会ヲ大正八年(1919年)四月八日組織シ昭和四年(1929年)満拾ケ年間ニ婦人ノ微力ヲ以テ巨額参千円ニ達ス依テ記念トス 昭和四年三月建」、その下に「世話人 出山昇 他3名の名」が刻まれている。大変感動的な出来事である。高さ160cm。

5.子安塔
  その2

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 前記3の石仏群の左から2番目に建つ。正面に幼児を抱く子安観音像が彫られ、台石に「子安講中」と文字が刻まれている。本体の右側面に「大正八年(1919年)三月吉日」、台石右側面に「世ハ人 岩井清蔵 他3人の名」が刻まれている。高さ86cm。

6.十九夜塔

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 前記3の石仏群の左から3番目に建つ。正面に如意輪観音像が彫られ、その像の上には「子安」の文字、向かって右上には「十九夜塔」、向かって左上には「文政七申(1824年)三月吉日」、台石には「十五人」と文字が刻まれている。右側面には「女人講中」と文字が刻まれている。高さ81cm。

7.子安塔
  その3

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 前記3の石仏群の左から4番目に建っている。正面に幼児を抱く子安観音像、その下に「女人講中」と文字が刻まれ、台石正面にも「女人講中」と彫られている。台石右側面に「講中三十四人 女人 世話人 友野亀右エ門 他6名の名」が刻まれている。本体の左側面には「文久二壬戌(1862年)二月吉日」、台石左側面には「世話人 伊藤重次郎 他8名の名」が刻まれている。高さ107cm。

8.十九夜塔
  その2

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 前記3の石仏群の左から5番目に位置する。正面に、日輪、月輪の下に如意輪観音像が彫られ、その向かって右上に「奉造立十九夜塔」、向かって左上部に「宝暦十庚辰(1760年)十月日」、その向かって左下に「講中先崎村五十八人」と文字が刻まれている。高さ89cm。

9.子安塔
  その4

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 前記3の石仏群の左から6番目に位置する。かなり像容が崩れているが、平成4年の佐倉市石造物調査票では子安観音とされている。左側面に「明治四十二年(1909年)四月」と文字が刻まれている。高さは74cm。

10.子安塔
   その5

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 前記3の石仏群の左から7番目に建っている。正面に幼児を抱く子安観音像、台石正面に「女人講中」、本体右側面に昭和十五年(1940年)三月吉日」、台石左側面に「世話人 蕨達也 他3名の名」が刻まれている。高さ73cm。

11.子安塔
   その6

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 前記3の石仏群の左から8番目に建っている。正面の像容は崩れていて不明であるが、その向かって右側に「子安大明神」と文字が刻まれている。右側面に「文政十亥(1827年)」と文字が刻まれている。高さ55cm。

12.子安塔
   その7

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 前記3の石仏群の左から9番目の石塔である。正面に幼児をやさしく見守るような子安観音像が彫られ、その向かって右側に「寛政三辛亥(1791年)三月吉日」、向かって左側には「先崎村女人講中」と文字が刻まれている。高さ86cm。

13.燈明料奉納碑

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 前記3の石仏群の右から3番目に建っている。正面真ん中に「金五十円」とあり、その向かって右側に「当山永代燈明料」と、向かって左側には「大正十三年(1924年)三月 和田啓蔵」と刻まれている。和田啓蔵は、志津村第三代及び第五代村長を勤め、明治34年に浅草公園に水族館を設立したり、北海道に渡って開拓に当たったりした後、大正9年(1920)3月に先崎で亡くなった。住まいは、雲祥寺から道路を隔てた所あたりだったということである。この石碑の高さは129cm。なお、「和田啓蔵之墓誌」は、みどり台霊園内にある。

14.読誦塔

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 前記3の石仏群の右から2番目にある。正面の向かって右に「奉読誦大乗妙典一千部」、向かって左には「金剛般若経一葉一字」と、右側面に「老泉慧松誌」と文字が刻まれている。高さ72cm。

15.地蔵講供養塔

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 前記3の石仏群の右端にある。正面に地蔵菩薩立像が彫られ、その向かって右側に「文化元子年(1804年)十一月吉日」、右側面に「先﨑村友野茂平次 願主 善兵衛 久兵衛」と文字が刻まれている。高さ79cm。

16.手洗石

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 前記2の大師堂の手前右にある。正面に「万人講」と文字が刻まれている。平成4年の佐倉市石造物調査では、側面に「天保元庚年(1830年) 正月吉日」とあるとなっているが、文字は読み取れなかった。高さ22cm。

17.六地蔵

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 集会所兼仏堂に向かって右側に真新しい六地蔵が建っている。コンクリートの土台の上に6体の高さ90cm位のお地蔵様が並んでいる。傍らに平成18年3月建立の六地蔵造立寄進者芳名の碑があり、80人余の人々が寄進したことが記載されている。

18.観音像

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 集会所兼仏堂に向かって左側に建っている。観音像は聖観音、台石の裏面に「平成十一年一月吉日 蕨毅雄 貞子」と文字が刻まれている。高さは230cmくらい。その左手に小さな木の屋根の付いた祠の中に童子姿の石像(高さ60cmくらい)があり、観音様が見守っているように見える。

19.六地蔵
   その2

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 境内に入って先崎会館を過ぎた左手に墓地があり、歴代の住職の卵塔(無縫塔)の手前にお墓を守るように六体のお地蔵様が佇んでいる。正面の下部に「安永六酉年(1777年)二月吉日 講村中」と文字が刻まれている。高さ110cm。

佐倉石碑クラブ

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