1.先崎鷲神社社殿
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青菅から先崎へ、「子の橋」を渡って突き当たりに先崎地蔵尊があり、そこを左に進むと約50mで道が別れる。右の坂道を登ると神社入り口に「鷲神社」と彫られた大きな石柱と鳥居が見える。
創立は不詳、祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)「承平七年(937年)七月七日、慈恵僧正朱雀帝の勅を奉じ、来たりてこの神を祭る」と『佐倉風土記』にある。江戸時代に将軍家光から5石の朱印地を賜ったといわれてる。境内には、市指定文化財で建築彫刻の本殿や石の鳥居、ケヤキの大樹があり神社景観としても優れている。鷲神社の神輿は、文化元年(1804年)の製作で屋根には葵の紋章が付いており、装飾に菊花、巴、卍の紋章があり華やかな中に荘厳さを保っている。
以下神社入り口より社殿方向に向かって順に紹介する。
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2.鷲神社石柱
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境内入口石段の手前に立っており、最初に目に留まる石柱である。
裏面に「奉納 平成十年七月吉日 友野 信建立」と刻まれている。高さ約205cm。
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3.万人講碑
(階段上)
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神社境内に入る階段の下と上の左右に設置されており、形状が同じで4個で一組のものと思われる。
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(1)万人講碑
(石段下)
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神社入り口石段下の両側にある。
(1)左側にある石碑の正面に「願主 氏子中 万人講」、右側面「鷺沼村石工直七」
(2)右側にある石碑の正面に「文政二巳卯星(1819年)七月七日」
の文字が刻まれている。高さ約44cm。
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(2)万人講碑
(階段上)
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石段を上がった所の両側にある。
(1)左側にある石碑の正面に「現住宥廣代」
(2)右側にある石碑の正面に「世話人 善兵衛 他六名」
の文字が刻まれている。高さ約35cm。
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4.獅子
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神社入り口石段を登り上がった所の左右にある。
右左の台石正面に「奉」「納」のそれぞれ一字が刻まれていて左獅子の台石の左側面に「明治三十一年(1898年)十二月吉日」、右獅子の台石の右側面に「願主 友野庄之輔、出山清之助」と刻まれている。高さ82cm。
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5.燈篭
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(1)左側灯篭
正面に「御神燈」、
裏面に「文政三辰歳(1820年)」、台石には「青菅村他3村商人中、セハ人蕨儀右門、万人講中」、
右側面に「現住宥廣代」と台石に奉納者「セハ人、蕨忠左門他4名」が刻まれている。高さ185cm。
(2)右側灯篭
正面に「御神燈」台石正面に「セハ人、當村傳右門他5名、小竹4名」の文字が刻んである。
台石左側面に「願主臼井臺町松戸藤右門他8村9名」、
本体裏面に「三月吉祥日」、台石裏面に「青菅、権左門他3村5名」の名が刻まれている。高さ185cm。
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6.村社指定記念碑
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参道の左側、上記5の灯籠の隣にある。
正面に「村社鷲神社 明治三十九年(1906年)十二月二十五日指定」、裏面に「奉納 氏子総代 蕨 達也 蕨 喜三郎 友野 富三郎 昭和九年(1934年)十月建立」と刻まれている。高さ160cm。
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7.奉納碑
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参道の右側にある。
正面に「奉納 文久三葵亥(1863年) 十二月
敷石 三百枚
當村 蕨善兵衛」と刻まれている。.高さ約145cm。
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8.奉納碑
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参道の右側にある。
「奉納 鷲神社
明治三拾四年(1901年)七月
元陸軍歩兵一等卒 勲八等 友野幸太郎」と刻まれている。
高さ約145cm。
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9.参拝記念碑
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参道の右側にある。
正面に「日光・善光寺参拝記念」、裏面に「昭和四年四月十五日 秋元晋蔵」と刻まれている。高さ約180cm。
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10.記念碑
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参道の右側にある。
正面に「奉納
壱金壱百六拾万伍千円也
鷲神社拝殿格天井張替
内線工事電気機具一式
平成十年参月吉日米ノ井宗一」と刻まれている。高さ約97cm。
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11.手水石
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鳥居手前の右側に2個並んで設置されている。
(1)左側手水石
正面に「下総国葛飾郡
先崎村
施主 蕨忠兵エ
奉竒進
別當正覚寺
元禄八年(1695年)霜月」と彫ってある。高さ約43cm。
(2)右側手水石
正面に「奉納」
右側面に「當区 願主 岩井仲治」
左側面に「明治三十八年(1905年)十月吉日」
と刻まれている。高さ約25cm。
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12.石鳥居
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江戸時代中期の寛文十三年(1673年)に建立された石造の鳥居である。鷲神社別院正覚寺の住職 定宥が建立主となり、江戸深川の石屋五郎兵衛が製作した。
明神鳥居の形式を持つ鳥居の大きさは高さは388cm、横幅は577cm、市内にある石鳥居の中で最大級である。佐倉市指定有形文化財に昭和53年7月26日指定された。
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13. 浅間様
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鳥居をくぐって右側に「浅間様」の立て札ある。
浅間神社のほとんどは富士山信仰によるものといわれている。(〇元宮)と大きな文字で刻まれている。〇の文字らしきものは富士山を意味しているものであろうか。
台石には建立者の名前が刻まれている。高さ130cm
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14.燈篭
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12.鳥居を過ぎて左右に燈篭が2基ずつ並んでいる。手前の左右の燈篭である。
(1)左側灯篭
正面に「奉献鷲宮神社 寶前」、
左側に「文化二(1805年)丑星十一月辰日」、
右側に「施主 當村 蕨平兵衛」、
台座に「祠堂護摩施主願主櫻井常道」と刻まれている。高さ153cm
(2)右側灯篭
正面に「奉獻鷲宮神社」、
左側に「文化五辰(1808年)三月吉日」、
右側に「現住照道代」と刻まれている。高さ175cm
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15.燈篭
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上記12.鳥居を過ぎて左右に燈篭が2基ずつ並んでいる。社殿に近い燈篭である。
左右灯篭は同時に建立されたものであり、刻まれた文字は同じである。
正面に「卍 奉竒進鷲神社 御寶前」、
左側面に「元禄十二己卯年(1699年)十一月吉祥日」、
右側面に「下総国印旛郡先崎村之内 施主 伊藤甚五右衛門」と刻まれている。
左側灯篭高さ約166cm、
右側灯篭高さ約168cm
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16.台座上の石碑群
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参道正面、社殿に向かって左手にある台座上に淡島大明神の石碑など5基が並んでいる。以下にそれぞれの石碑について記述する。
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17.淡島大明神
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16.台座の一番左側に淡嶋大明神がある。
正面に「淡嶋大明神 女人講中」、
裏面に「安政二乙卯(1855年)四月奉納、一阿代、世話人 倉次郎」と刻まれている。
高さ約140cm
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18.金刀比羅宮
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16.台座の淡嶋大明神の右側に欠けた笠が載せられて、「金刀比羅宮」と名前札が立てられている。
高さ約103cm
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19.疱瘡神
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上記16.台座の左側より3、4番目が疱瘡神である。正面に「疱瘡神」と刻んである。
左側疱瘡神高さ約56cm、右側疱瘡神高さ63cm。
右側の左側面に「天明五乙巳(1785年) 二月吉日」と刻まれている。
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20.うぐいすの碑
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上記16.台座の一番右側にある。
中央に「鶯の谷より出ずる声なくば春来ることを誰か知らまし」、
左下方に「百有十翁易茂」、
碑陰(裏面)には「一阿印之」と刻まれている。
「佐倉市誌資料」には、「徳川末期の正覚寺住職が書き刻ませたものであろう」と書かれている。高さ約110cm。
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21.三社
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鳥居を過ぎて右側の少し小高くなったところに三社があり古事記、日本書紀に出てくる神々の祀られている。
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