鷲神社東の墓地

(住所:佐倉市先崎1580付近)

地図拡大

1.地蔵尊

   photo1
 

  先崎地蔵尊の方から坂を上って鷲神社の鳥居の所を過ぎ、鷲神社の境内を左に見ながら歩くと鷲神社の駐車場があり、その反対の方向にこの地蔵尊がある。そこに「正覚寺廃寺真言宗住職の墓石 鷲神社再建に尽力した」と記された小さな立て札があるが、ここは鷲神社の別当寺であった正覚寺があった場所で、正覚寺は明治元年の神仏分離令により廃寺となった。その時残った鷲神社とともに引き継がれたのがこの地蔵尊だという。
 地蔵尊の台石正面には真ん中に「阿闍梨権大僧都法印宥惠」と、その向かって右側に「法如妙應優婆夷清室優婆夷 他7人の名」が、向かって左側には「孤山林照比丘尼 他7人の名」と計17人の名が記されている。優婆夷とか優婆塞の文字があることから在家の信者もここに記されていることが分かる。台石の右側面には「持齋講中十七人敬白」と、台石の左側面には「享保十乙巳(1725年)十月末日先崎村」と文字が刻まれている。高さ115cm。 

2.出羽三山碑
  その1

   photo1
 

  上記1の地蔵尊から少し奥に行った左手小高くなったところに出羽三山碑が2基建っている。この出羽三山碑は手前にあるもの。
 正面中央に「湯殿山」、その向かって右側に「月山」、向かって左側には「羽黒山」と、左側面に「文久二壬戌(1862年)十一月吉日」とある。建立者の名は見つけられなかった。高さ80cm。

3.出羽三山碑
  その2

   photo1
 

  上記2の出羽三山碑の2m位奥にある。正面には、上部中央に大日如来を表す種子(しゅうじ)が、その両脇に日輪と月輪の模様が彫られ、その下には中央に「湯殿山」、その向かって右に「羽黒山」、向かって左に「月山」、湯殿山の文字の下には「三山大権現」と文字が刻まれている。さらに正面の向かって右端の方には「寛政三辛亥星(1791年) 先崎村」、正面の向かって左端には「二月吉祥日」と文字が刻まれている。高さ88cm。

佐倉石碑クラブ

inserted by FC2 system