神社入口の説明板に神社の由来が記述されており次のとおりである。 「当初社殿は松林寺周囲に鎮座していたが、江戸時代末期に火災にあい現在の地に再建された。その後明治29年12月1日、再び火災により焼失し、現社殿はその後の再建である。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)である。 応神天皇在位の時期は中国、朝鮮より文字が伝わり、縫工、織工などが来日し、それらの技術が伝えられた時代であり、画期的な時代であったことから「勉学の神」として、あるいは新しい事を行う時「創業の神」として尊崇されていた。 また、平安、鎌倉時代は源氏の氏神として武神、軍神として崇敬されていたことは、よく知られるところである。御例祭は9月14日、15日である。」 文中の応神天皇が実在するとすれが4世紀後半ごろの大王(おおきみ)と推定されている。日本に文字が伝わったのはこのころである。 弥勒八幡神社への道順は次のとおりである。京成佐倉駅南のパチンコ店横を南に590m進むとT字路に当たる。そこを左折し、道なりに470m行くと左に酒屋がある。その手前の道を右に行くと右に上り坂がある。そこに八幡神社の鳥居がある。
八幡神社の石碑、石仏の配置は次のとおりである。 1.鳥居 2.狛犬 3.常夜灯 4.手洗石 5.常夜灯 6.常夜灯
鳥居上部中央に「八幡神社」の文字が彫られている。また、鳥居に向かって左の柱の裏に「昭和四十二年(1967年)九月吉日」の文字が彫られている。
一対の狛犬である。右の狛犬台石正面に「奉」、左の狛犬台石正面に「納」の文字が彫られている。また、左右双方共台石裏面に「昭和十三年(1938年)二月 寄附人 名古屋市 稲葉全治」の文字が彫られている。形状は岡崎現代型である。高さは双方共1m70cm。
一対の常夜灯である。双方共竿の正面に「献燈」、竿の裏面に「昭和十二年(1937年)四月建立 稲葉全治」の文字が彫られている。形状は現在の春日灯篭となっている。高さは双方共2m40㎝。
正面に「奉納」、左側面に「文政二己卯歳(1819年)正月吉辰」、右側面に「江戸大傳馬町弐丁目 筆墨硯問屋古組 奈良屋平七 本主 佐倉久保町 伊勢屋兵蔵子」、台石右側面に「奉納台石一式 三谷授郎(他7名) 昭和五十三年(1978年)九月」の文字が彫られている。高さ60㎝。
一対の常夜灯とその傍らに常夜灯の竿の部分がある。写真右の常夜灯台石正面には文字が彫られているが、文字の繋がりがなく本来あった台石ではなさそうである。竿および火袋はモルタルで造られている。高さ150㎝。 写真中央の常夜灯の台石正面に「江戸大傳馬町二丁目 奈良屋平七 佐倉久保町 伊勢屋○○ 同江戸屋 〇左エ門」の文字が彫られている。竿および火袋はモルタルで造られている。高さ150㎝。 写真左の竿の部分だけのものは正面に「奉献御寶前」、裏面に「文政八乙酉歳(1825年)八月吉日」の文字が彫られている。高さ60㎝。平成4年佐倉市石造文化財調査記録から平成4年までは写真左の竿の部分が写真中央または写真右の常夜灯の竿となっていたことがわかる。
一対の常夜灯である。右の常夜灯の竿正面に「常夜燈」、台石正面に「奉」、台石裏面に「大正五年(1916年)七月吉日 ○○雅吉 石工 加藤輿七」の文字が彫られている。 左の常夜灯の竿正面に「常夜燈」、台石正面に「納」の文字が彫られている。高さは双方共2m20㎝。