宗圓寺

(住所:佐倉市新町89)

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1.宗圓寺

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 正式名称は正覚山宗圓寺。宗派は臨済宗妙心寺派。本尊は聖観世音菩薩。寛永16年(1639年)に信濃松本藩主堀田正盛が建立した円覚寺慧光院の境内に19歳で死去した弟の冥福を祈り塔頭(たっちゅう)として建てたのが宗圓寺の始まりである。 寛永19年(1642年)堀田正盛が佐倉藩に転封した際に佐倉の現地に移した。墓地には順天堂創立者佐藤泰然の墓などがある。
 宗圓寺への道順は次のとおりである。京成佐倉駅南のパチンコ店横を南に590m進むとT字路に当たる。そこを左に100m進むと「佐倉小学校」の看板がある。そこを左に70m進むと右に宗圓寺がある。

2.六地蔵

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 山門を入って左に六地蔵がある。人は生前の行為の善悪のいかんによって死後に地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道という六道の境涯を輪廻、転生するといわれる。それぞれに衆生救済のために六地蔵が配されている。 宗圓寺の六地蔵では地蔵名がそれぞれ地蔵の手前に表示されており、写真左から次のとおりとなっている。
地持地蔵 ・・・天道
鶏兜地蔵 ・・・人道
宝印地蔵 ・・・修羅道
宝陵地蔵 ・・・畜生道
陀羅尼地蔵・・・餓鬼道
法性地蔵 ・・・地獄道
高さは台座から75㎝。六地蔵の左に寄付者名簿碑があり、「佐藤強(他6名) 平成十四年三月吉日建立 発願者宗圓寺住職 林宗秀」の文字が彫られている。

3.手洗石

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 この手洗石は六地蔵の先にある。正面に「奉納」、左側面に「文政十三(1830年)○○三月吉日」、右側面に「世話人 飯田屋久清(他1名) 女人中」の文字が彫られている。

4.本堂前の
  石碑・石仏

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 本堂手前左に石碑・石仏が並んでいる。上記写真の左から順に次のとおりである。
1番目 招魂之碑
2番目 万霊塔
3番目 二十三夜塔
5番目 十九夜塔
次項からこれらの紹介をする。

5.招魂之碑

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 石碑の左上が一部欠損している。石碑上部に「贈従五位笠翁佐藤先生招魂之碑」の文字が彫られている。高さ140㎝。碑文は漢文で記述されているが、石碑後方に説明板があり、その内容を要約すると次のとおりである。
 「佐藤尚中(さとうたかなか)(文政10年4月8日生、明治15年7月13日没)は号を笠翁といい、亡くなった後明治天皇から従五位が贈られた。佐藤尚中は始め山口舜海(やまぐちしゅんかい)と称した。 天保13年(1842年)佐藤泰然の和田塾に入門し、後に泰然の養嗣子となり家督を継ぎ、順天堂も受け継ぐ。 万延元年(1860年)長崎に遊学しオランダ海軍医ポンぺから洋楽を学ぶ。明治維新後は大学東校(今の東京大学医学部)教授となった。後年、東京湯島に順天堂病院を開いた。」

6.萬霊塔

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 萬霊塔はこの世のあらゆる生命あるものの霊を宿らせ、供養するために建立される。 万霊塔はこの塔のように万霊等と表記されることがある。
 この塔に刻まれている文字は、正面中央に「萬霊等」、その右に「〇應二年癸巳 翠峰友景禅定門 閏六月三日」、左に「現住周是代」と読める。干支の癸巳及び閏六月から承応2年(1653年)であることが判る。高さ130㎝。

7.二十三夜塔

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 この塔の後方に説明板があり、その内容は要約すると次のとおりである。
「二十三夜は旧暦二十三日の夜に集まる講を言う。特別な祈願があるときに塔を建てることがある。 この塔が建てられた元治二年(1865年)は佐倉地方で天然痘の大流行があった。」
 正面上部に日輪、月輪、瑞雲が彫られている。正面中央に「二十三夜塔」、左側面に「元治二乙丑年(1865年)二月吉日」の文字が彫られている。高さ70㎝。

8.十九夜塔

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 十九夜は旧暦十九日の夜に集まる講を言う。主に女性の講である。
 正面中央に如意輪観音が刻まれているが頭の部分が平に削られている。 正面右に「寶暦八戌寅年(1758年)正月十九日」の文字が彫られている。高さ85㎝。

9.盡道(じんどう)
  之碑

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 千葉県巡査部長戸村芳蔵の殉職顕彰碑である。高さ170㎝。碑文は漢文で記述されている。 正面右に「盡道乃碑」の文字がある。続く碑文については顕彰碑の後方に説明板があるので、その内容を要約すると次のとおりである。
「明治25年(1829年)1月に佐倉地方で疱瘡が発生した。戸倉巡査部長は検疫、消毒等の処理に当たり、県民・町民を守るという警察官としての義務を全うし、同年3月自らも罹患し、行年42歳で殉職した。 碑は佐倉町民の有志の醵金によって建てられた。」
碑文作成は明治25年(1892年12月)。当時、警察は任務として防疫活動を行なっていた。

佐倉石碑クラブ

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