甚大寺

(住所:佐倉市新町78)

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1.甚大寺

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 甚大寺(じんだいじ)の正式名称は安城山不矜院(ふきょういん)甚大寺である。 宗派は天台宗。本尊は十一面観音。その他不動明王、金毘羅大権現、毘沙門天が祀られている。
 甚大寺は天海僧正により出羽国山形城下に創建され、元禄14年(1701年)に山形藩主堀田正虎(ほったまさとら)が再興したと伝えられる。  延享3年(1746年)山形藩主堀田正亮(ほったまさすけ)が佐倉に転封された際に佐倉の現在地に移された。甚大寺は堀田家の菩提寺である。
 甚大寺への道順は次のとおりである。京成佐倉駅南のパチンコ店横を南に590m進むとT字路に当たる。そこを左に100m進むと「佐倉小学校」の看板がある。 そこを左に130m進むと右に甚大寺がある。

2.金毘羅大権現石柱

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 甚大寺に祀られている金毘羅大権現は堀田正順(ほったまさあり)が寛政年間(1789~1801年)に城内の守護仏として四国象頭山(どうずさん)から勧請したものである。 明治初年の神仏分離令が布かれ甚大寺に移された。石柱は昭和になって建て替えられた。毎月10日は縁日であり近隣住民の参詣者を迎えている。
 石柱正面に「金毘羅大権現 甚大寺」、右側面に「昭和十三年五月建立 発起人 大木徳太郎(他1名)」、左側面に「安城山 第二十四世 静海代」、裏面に「寄付者 伯爵堀田家(他29名) 石工吉原○一刻」の文字が彫られている。  

3.手洗石

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 この手洗石は本堂手前の右にある。正面に「奉納」の文字が彫られている。高さ40cm.。

4.堀田正眭追遠碑

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 この碑は本堂の右奥にある。堀田正眭(ほったまさよし)は江戸時代後期の佐倉藩主・老中首座であり、日米修好通商条約の交渉を行った。この碑文は漢文で記述されており、漢字およそ1,500文字におよぶ。撰分者は平野重久で、明治16年(1883年)に作成した。碑文を要約すると次のとおりである。
(1)堀田正眭の先見性
(2)アメリカ合衆国使節ハリスとの日米修好通商条約に関わる交渉
(3)朝廷に勅許(ちょっきょ)を得られないまま調印したこと
(4)勅許を得られなかった責任を負わされ老中を罷免され、さらに佐倉城内で蟄居(ちっきょ)したこと
(5)堀田正眭の功績と顕彰碑建立の経緯
参考:ハリスの日記に条約調印について次の記述がある。
日本の最高責任者は将軍と思っていた。ところが京都に朝廷があって、その承認なしでは調印ができないとは何事であるか。

佐倉石碑クラブ

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