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この碑は本堂の右奥にある。堀田正眭(ほったまさよし)は江戸時代後期の佐倉藩主・老中首座であり、日米修好通商条約の交渉を行った。この碑文は漢文で記述されており、漢字およそ1,500文字におよぶ。撰分者は平野重久で、明治16年(1883年)に作成した。碑文を要約すると次のとおりである。
(1)堀田正眭の先見性
(2)アメリカ合衆国使節ハリスとの日米修好通商条約に関わる交渉
(3)朝廷に勅許(ちょっきょ)を得られないまま調印したこと
(4)勅許を得られなかった責任を負わされ老中を罷免され、さらに佐倉城内で蟄居(ちっきょ)したこと
(5)堀田正眭の功績と顕彰碑建立の経緯
参考:ハリスの日記に条約調印について次の記述がある。
日本の最高責任者は将軍と思っていた。ところが京都に朝廷があって、その承認なしでは調印ができないとは何事であるか。
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