元禄14年(1704年)から享保8年(1723年)の佐倉藩主稲葉正住・正知父子に仕えた渡辺善右衛門が当時見たり聞いたりした佐倉城下の様子を記した「古今佐倉真佐子」に、「ここに昔入定(にゅうじょう)した庄右衛門の名を付けた塚があった。」という記述がある。
衆生救済のため生きながら埋められ即身仏となった行者を祀るために造られた入定塚(行人塚)は主に東日本に多く分布するが、当時すでに「昔」とあるように庄右衛門の入定が事実か否かは不明である。
さらに、同史料には「夏におこり(マラニアのこと)で熱発作がでたときにこの塚に願をかけると平癒し、人々はその礼としてこの塚の側に立っていたサイカチの木の枝に甘酒を入れた青竹の筒をかけた。」という記述がある。
そのため、地元の人々はこの塚を「おこりの神様」と呼んでいた。
現在の墓は項番2に記載しているとおり慶応元年(1865年)に再興されたものである。
庄右衛門塚への道順は次のとおりである。京成佐倉駅南の車両進入禁止の道を南に進むと交差点「京成佐倉駅南入口」がある。そこを西に70m進むと右に庄右衛門塚がある。
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