海隣寺は鎌倉時代から戦国時代前期までは馬加(まくわり、千葉市花見川区幕張町)にありました。 その後、千葉家の内紛に伴い、寺は馬加から酒々井を経て、千葉親胤によって現在地の佐倉に移された。 佐倉市役所南側に隣接して海隣寺は有り、時宗の寺で本尊は阿弥陀如来である。開基は千葉勝胤とされている。 また寺の名前からから取ってこの地の地名は海隣寺町となっている。佐倉市のホームページには 「佐倉市の文化財=寺院」の一つとして紹介されている。
山門左側に設置されている。 台座正面に「千人安産成就醫師石井氏印施」、台座左側に「文政二(1819年)巳卯十月大吉」と彫ってある。 高さ 113cm
本堂前左手に設置されている。寒念仏は大寒の時期に寺門で行われる修行で今日でも行われているという。 浮き彫りにされた像容の右側に「寒念佛供養」その下に「即夢休心信女正徳元(1711年)卯十二月末日、 即如妙心信女正徳元(1711年)卯十二月末日」左側に「享保十三(1728年 )葵申三月吉日、願主 誉全企比丘」 と彫ってある。 高さ 55cm
成田道から佐倉市役所敷地へ入り正面に駐車場がある。駐車場の奥に海隣寺の墓地があり、 その墓地の一角に佐倉市指定文化財として千葉家供養塔が並べられている。 石材のほとんどが銚子犬吠埼付近を産地とする砂岩が使用されている。