1.小竹御嶽神社拝殿
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山万ユーカリが丘線女子大駅から、ユーカリ五番町ハイツのマンション群の間の道路を通り小竹三叉路を過ぎ四社大神の社殿を右に見て更に畑の間の道を進むと三叉路に出る。ここで左方の道を左右に畑を見ながら進んで行くと樹々の間に上記の写真の建物が見えてくる。女子大駅からは1.5km約20分の道のりである。
入口に鳥居とか石造物がなく、社殿とは見えないがその奥には立派な本殿(次の2の写真)が上記の拝殿の裏に建っている。
言い伝えによると、「明治何年かにこの地にやってきた御嶽講の行者が、地中に見つけた赤い丸石をしてこれをご神体として祀るようにと告げ、それを聞いた村人が木曽の御嶽山に行って本来は持ち帰り御法度の御嶽山内の石を特別に頂いて帰り、先の丸石と共にご神体とした。」というのがこの神社の始まりだという。
木曽御嶽山は長野県と岐阜県にまたがる海抜3,063mの高山で古来より修験者により登拝され、その修行の場となった所である。
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2.小竹御嶽神社本殿
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上記1の拝殿の裏に建つ木造流造の本殿である。
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3.手洗石
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この手洗石は入口を入って右の方にある。正面に「奉納」、左側面には「明治十六年(1883年) 第六月吉辰 村上邨 江口清八」と文字が刻まれている。高さ27cm。
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4.歌碑
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この歌碑は上記3の手洗石の右隣に建っている。この石碑は、上段に和歌、中段に躍動する馬の絵(線刻)、下段に願人(がんにん)の名前が記されている。
上段には平成14年の志津市民大学研究科による志津地区石造文化財調査票によれば「奉納」の文字の左に「ゆくあとも まもりて 多(た)まひ ちはやふる 神の雲居に 称のふ ひとす志」の和歌、その左に「昭和五年(1930年)春」と文字が刻まれている。下段には「願人 深山○太郎、仝 鈴木忠治郎、仝 蕨熊二郎」の文字が認められる。高さ113cm。
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5.霊神碑
その1
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この石碑は本殿に向かって右側に建っている。石碑の正面中央に「弘照貴山霊神」
と大きき文字が刻まれている。他にも碑には文字が刻まれているが、
風化によりかなり読みずらい。平成14年の志津地区石造文化財調査票によると
、正面右側に「明治二十二年(1889年)九月十六日 作法講主」の文字、正面の左側に
「誠斉謹書」の文字が刻まれ、裏面には「礼故深山作右衛門 明治二十二巳丑年十一月三日
嗣子 深山庄吉建」と文字が刻まれている。高さ210cm。
霊神碑は、御嶽講の講祖や先達の霊を聖地や神域に祀ろうとするものである。
御嶽講の信仰の核心にあるのが死んだら、魂を御嶽山に引き取ってもらえるという
不思議な安心感である。その思いが霊神碑建立という現象に現われている。
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6.霊神碑
その2
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この石碑は本殿に向かって左側にこのように傾いた状態で建っている。
この石碑の正面には「鈴開霊神」と文字が刻まれている。裏面は文字が読みづらいが、平成14年志津地区石造文化財調査票によると「明治十八年(1885年)乙酉四月三日
當邑 鈴木四郎兵衛之長男 説諭掛 鈴木惣藏之遷霊」の文字が刻まれている。高さ151cm。
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