小竹四社大神

(住所:佐倉市小竹1123番地)

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1.小竹四社大神

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 山万ユーカリが丘線女子大駅より小竹小学校と和洋女子大の間の道を行き、突き当りを右に400m進むと小竹三叉路がある。 ここで左折し400m進むと小竹四社大神がある。名前の由来は、井野八社大神は十二社を合祀していたが、うち四社を小竹に分祀し、 四社大神としたといわれている。明治43年星神社並びにその境内社の愛宕大神・稲荷大神・清正大神を合祀した。 祭神は 經津主命(ふつぬしのみこと)大己貴命(おおむなちのみこと)伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉再命(いざなみのみこと)ほか4柱といわれている。  

2.記念碑

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 四社大神入口の道路の向かい側に、記念碑がある。正面に「千葉県印旛郡長従六位 久保三郎篆額 村社四社大神者従往古為小竹之鎮守産土神矣  雖末詳其創立年代依口碑之所傳則寛正年間(1460~1465室町時代の年号)之 建立云文化二年(1805年)八月再建本殿明治四十三年三  月遷字中内鎮座ノ星ノ神社並同境内神社合祀 干茲大正五年一月以千葉縣告示指定干神饌幣 帛料供進神社」と彫られている。 遠い昔より、小竹の鎮守・産土神として祀られ、言い伝えでは、室町時代の寛正年間(1460~1465年)の建立。文化二年(1805年) 本殿が再建され、明治43年に星神社とその境内神社を遷し合祀したとの内容である。高さ171cm。

3.四社大神標石

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 入口に標石がある。正面に「四社大神」背面に「奉納 昭和五十八年七月吉日 直八 髙橋暎勝」と彫られている。高さ267cm。

4.手水石

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 標石の先に手水石がある。正面「宝暦八年(1758年)寅正月日」と彫らている。なお現在は判読できないが、平成4年佐倉市石造文化財調査によると、正面に「末座左エ門他三十七名」と記されていた。高さ42cm。

5.拝殿前の右側
  の石碑

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 拝殿前右側に狛犬2、常夜燈2があり、各々左側の石碑と対になっている。なお拝殿前には、手水石が1基ある。

5-1.狛犬

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 拝殿前右側の、手前の狛犬。台石正面に「奉」左側面に「印旛郡志津村大字 蕨庄兵エ内 蕨種松」が彫られている 。対になっている狛犬から奉納日は明治24年(1891年)とわかる。高さ124cm。

5-2.常夜燈

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 次の常夜燈。正面に「常夜燈」背面に「安政六禾年(1859年)九月吉日」と彫られている。台石正面には「氏子中」と記されている。 火袋部分はない。高さ118cm。

5-3.常夜燈

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 次の常夜燈。台座正面には「奉」背面に「平成二十三年三月十一日 東日本大震災の為再建」と記されている。高さ166cm。

5-4.狛犬

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 次の狛犬。台石正面には「奉」背面に「平成二十三年三月吉日 山﨑重雄」と記されている。高さ125cm。

5-5.手水石

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 次の拝殿前右の手水石。背面に「奉納」と記されているが後の文字は判読できない。高さ26cm。

6.拝殿前の左側
  の石碑

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 拝殿前左側に狛犬2、常夜燈2がある。各々右側の石碑と対になっている。

6-1.狛犬

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 拝殿前左側の、手前の狛犬。台石正面に「納」左側面に「明治二十四年(1891年)卯 十月十五日」が彫られている。高さ125cm。

6-2.常夜燈

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 次の常夜燈。正面に「常夜燈」背面に「安政六禾年(1859年)」と彫られている。台座正面「氏子中」右側面「世話人 山﨑嘉左ヱ門(他16名)」 と記されている。火袋部分は欠けている。高さ120cm。

6-3.常夜燈

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 次の常夜燈。台石正面には「納」背面に「平成二十三年十月吉日 氏子一同」と記されている。高さ166cm。

6-4.狛犬

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 次の拝殿左側手前の狛犬。台石正面には「納」と記されている。高さ125cm。

7.神号不明石碑

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 本殿横に祠がある。中に疱瘡神と思われる石碑があるが、正面判読できず神号等不明、左側面に「明治廿二年(1889年)一月建立」、右側面に「願主 山崎栄〇」と彫られている。高さ52cm。

8.本殿左横の4石碑

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 本殿左横に4石碑がある。左側の2石碑は富士講碑、その右に祠があり中に富士講碑がある。右端の祠には、神号不明の石碑がある。

8ー1.富士講碑

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 4石碑の左端の石碑は富士講碑。正面に「登山大成就 冨士淺間大神 先達 小久保縫治」背面に「大正八年(1919年)十月建立」と彫られている。 上の台石正面に「世話人 秋元熊蔵(他6名) 髙橋佐兵エ(他16名)」、下の台石正面に「世話人 鈴木升次郎(他6名) 秋元平次(他25名) 昭和三年」と彫られている。高さ223cm。

8ー2.富士講碑

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 4石碑の左から2番目の石碑は富士講碑。正面に「登山祈願成就之碑 冨士淺間神社 中先達 小久保茂助」と彫られている。 台石正面に「世話人 秋元熊蔵(他1名) 山﨑仙蔵(他18名) 先達 當区 山﨑勘右エ門 明治四十一年(1908年)四月建立」と彫られている。高さ72cm。

8ー3.富士講碑

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 4石碑の左から3番目の祠に富士講碑がある。正面に「浅間大菩薩」と彫られている。側面部分確認できないが、平成4年 佐倉市石造文化財調査によれば右側面「六月大告辰 小竹邨中」左側面「安永第七年(1778年)戊戌星」と彫られている。高さ49cm。

8ー4.神号不明石碑

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 4石碑の右端の祠に神号不明の石碑がある。台石正面に「小竹區中」と彫られている。側面部分確認できないが、平成4年佐倉市石造文化財調査によれば右側面「明治廿六年(1893年)十二月吉日」と彫られている。高さ98cm。

9.本殿後方の石碑

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 奥本殿後ろに多くの石碑がある。左端から菅公千年祭紀念碑、次に5つに仕切られた集合塔内に9石碑、右端の社に7石碑がある。

10.菅公千年祭
   記念碑

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 左端に菅公千年祭紀念碑がある。正面に「菅公一千年祭紀念碑」背面に「明治三十五年(1902年)十二月三十日 興農協會 発起人」金本朝雄 會員秋元平○(他21人)」と彫られている。 明治35年(1902年)は菅原道真の千年忌にあたっており、大宰府の天満宮あるいは京都の北野天満宮を参拝し記念碑を建立したまのと思われる。高さ182cm。

11.神社集合棟

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 菅公千年祭紀念碑の右の集合塔は5つに仕切られ、9石碑がある。

11ー1.天満宮碑

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 左端の仕切り内に天満宮碑がある。正面に「天満宮」と彫られている。建立年月日は背面確認できず不明。高さ28cm。

11ー2.子安大明神

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 左から2番目の仕切り内に2石碑がある。
(1)左の小さな石碑の正面には「子安大明神」と彫られている。高さ26cm。
(2)右の大きな石碑の正面には「子安大明神社」と彫られている。側面部分
   確認できないが、平成4年佐倉市石造文化財調査によれば左側面に
  「元文四乙(1739年)未月朔日 願主 髙橋一春」と彫られている。
   高さ67cm。

11ー3.皇大神宮碑

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 左から3番目の仕切り内に皇大神宮碑がある。正面に「皇大神宮」、右側面「髙橋弥右エ門」、左側面「明治三十三年(1900年)一月十一日」と彫られている。高さ57cm。
 皇大神宮は、三重県伊勢市にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には内宮(ないくう)と呼ばれている。

11ー4.八坂大神

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 左から4番目の仕切り内に八坂大神がある。判読しにくいが正面に「明治二己(1869年) 八坂大神 六月」と彫られている。高さ39cm。

11ー5.疱瘡神他

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 右端の仕切り内に3疱瘡神と大杉大明神がある。何れも、その神号が正面に彫られている。
(1)前列左の疱瘡神。正面に「疱瘡神」左側面に「髙橋忠右エ門」と彫られている。
   高さ32cm。
(2)前列中央の大杉大明神。正面に「大杦大明神」、右側面に「嘉右エ門」と彫られ
   ている。高さ23cm。
(3)前列右の疱瘡神。正面に「疱瘡神」、右側面に「当邑○○」と彫られている。
   高さ27cm。
(4)後列の疱瘡神。正面に「疱瘡神」、左側面「天保十二年(1841年)五月」と
   彫られている。高さ52cm。

12.社内の7石碑

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 神社集合棟の右に社があり。7石碑が密集しており、前列2、中列2、後列3、計7石碑がある。

12-1.白山神社

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社の前列左の白山神社。正面に「白山神社」と彫られている。高さ52cm。

12-2.神号不明石碑

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 社の前列右の神号不明石碑。右側面に「秋本金兵エ」と彫られている。正面に文字が彫られていたが、劣化により判読できず神号不明とした。高さ50cm。

12-3.稲荷大明神
  弘法大師供養塔

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 社の中列左(白山神社の後ろ)の稲荷大明神・弘法大師供養塔。正面に「稲荷大明神 弘法大師」が彫られている。 側面部分確認できないが、平成4年佐倉市石造文化財調査によれば左側面「寛政八丙辰(1796年)十一月」と彫られている。 高さ37cm。

12-4.疱瘡神

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 社の中列右の疱瘡神。正面に「元文五年(1740年) 疱瘡神 庚申正月吉日」、右側面に「願主 髙橋○○ 鈴木○○」と彫られている。高さ48cm。

12-5.疱瘡神

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 社の後列左の疱瘡神。正面に「疱瘡神」、左側面に「文化八未年(1811年)四月吉日」と彫られている。高さ48cm。

12-6.疱瘡神

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 社の後列中央の疱瘡神。正面に「天保六年未年(1835年) 疱瘡神 十一月吉日」と彫られている。高さ45cm。

12-7.疱瘡神

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 社の後列右の疱瘡神。正面に「疱瘡神」、右側面に「願主 鈴木市右エ門」と彫られている。高さ45cm。

13.手水石

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 社内の7石碑の手前の手水石。正面に「奉納」、左側面に「文化十二乙亥(1815年) 六月吉日 講中」、右側面に「世話人 重左エ門」と彫られている。

佐倉石碑クラブ

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