小竹水神社

(住所:佐倉市小竹1161番地)

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1.小竹水神社

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 小竹水神社の祭神は、水祖(みずおや)罔象女神(みずはのめのみこと)である。創立年代は不詳である。鎮守四社大神が崇祀されるまで、小竹村の産土神であり水災に対する悲願でもあったようである。小竹村は印旛沼の氾濫に苦しめられてきた土地であり、長く水との戦いを余儀なくされてきた。人々は水神さまを祀り加護を祈願した。
 小竹水神社への行き方は以下のとおりである。山万ユーカリが丘線の女子大より140m弱ユーカリが丘駅方面に戻り、信号のない交差点の横断歩道を渡ってユーカリ五番町ハイツのマンションの間の坂道を小竹三叉路まで歩く。小竹三叉路で正面の道を選び西福寺を左にみながら緩やかな坂道を下ると、右の方に「さくら霊園」が見えるがその反対方向に進んで行くと右に水神橋、左に2基の道標を兼ねた馬頭観音のある所に出る。更に400m弱歩くと道路の左手に民家の隣の空き地の奥にこの神社がある。女子大の駅から1.4km、徒歩で約18分の道のりである。水神橋の向うに八幡台の住宅が見える場所である。
 以下に、神社の入口の方から社殿の方へ進みながら石造物を紹介していきたい。   

2.石鳥居

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 この石鳥居は簡素な神明鳥居である。上記写真2の鳥居の左の柱裏面に「昭和五十一年(1976年)十月吉日建之」と文字が刻まれている。高さ約250cm。

3.手洗石

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 この手洗石は鳥居に向かって左の傍らにある。正面に「奉納」、右側面に「當村中 願主 小久保興次兵エ、世話人 山﨑權左エ門(他2名の名)」、左側面は土に埋まって見えないが、平成14年しづ市民大学研究科歴史コースによる志津地区石造文化財調査票によると「嘉永五子年(1852年)九月」と文字が刻まれている。高さ40cm。

4.常夜燈
  その1

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 上記2の鳥居をくぐると左右に常夜燈がある。上記4の写真は社殿に向かって左側に建つ常夜燈である。火袋の部分が欠損している。正面に「常夜燈」、裏面に「文久三癸亥年(1863年)九月日、台石の正面に「氏子中」、台石の右側面に「世話人 秋山平左エ門(他9名の名)」、台石の左側面には「世話人 秋本長左エ門(他9名の名)」が刻まれている。高さ157cm。

5.常夜燈
  その2

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 上記5の写真は社殿に向かって右側に建つ常夜燈である。笠より上の部分が常夜灯の前の地面に落ちている。正面に「常夜燈」、その裏面に「文久三癸亥年(1863年)九月日」、台石の正面には「氏子中」、台石の右側面には「願主 小久保与兵エ(他1名の名)、世話人 山﨑嘉治エ門(他9名の名)」、左側面には「蕨庄兵エ(他10名の名)」の文字が刻まれている。高さ117cm。

6.石段石柱
  その1

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 常夜燈を過ぎると社殿へ続く石段がある。その下端に石柱があり、文字が彫られている。上記6の写真は社殿に向かって左側にある石柱である。正面の大部分が剥離しており、左上に「秋本」の文字が認められるだけである。年代は不詳。高さ42cm。

7.石段石柱
  その2

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 上記7の写真は社殿に向かって右側にある石柱である。正面に「秋山平治〇エ門、鈴木四良〇〇」の文字が認められる。年代不詳。高さ42cm。  

8.水神社社殿

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 上記8の写真は、石段の奥に建つ水神社の社殿である。茅葺の屋根・木造流造、神額に「水神宮」と文字が刻まれている。

佐倉石碑クラブ

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